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2018年7月某日 PM22:00頃

帯広市内の屋台でカレー屋のおっさんとフランスの若者が、めんどくさい政治談議をしていた。

酔った私が質問したのは、第二次世界大戦中のフランスの「ヴィシー政権」について。

なぜビンセントが沈黙し「この話は、フランス国内ではタブー」と言ったのか。

 

ビンセントが言葉を選びながら説明を始めた。

タブーである一番の理由は、ユダヤ問題が関係しているのだという。

「ユダヤだって!?」

それは知らなかった。

私の無知のなせる質問だったのだ。

 

彼の説明によると、ヴィシー政権時代に、ナチスの強制ではなく、フランス人自身でユダヤ人狩りを行い、ホロコーストのため強制収容所に送り込んだのが問題なのである。

忌まわしい歴史の暗部ということらしい。

「最近になって、大統領も公式にユダヤ民族に対して謝罪をしました」

(後日調べてわかったことだが、2012年オランド大統領が確かに公式に謝罪していた)

 

すっかり空気が重たくなってしまった。

「・・・ビンセント。家に戻って飲みなおそうか?」

「そうですね」

 

翌朝になり、迎えに来た男性にお礼を言って、ビンセントと別れた。

 

 

そして1週間後。

知床からビンセントが戻ってきた。

また要領よくヒッチハイクをして、帯広の私の店まで自力でやってきた。

今回も私の所で一泊することになった。

この日は営業中だったので、彼には店の中で好きにいてもらった。

「せっかくなので食べていきます。お金も払います」

「そうだな。労働の対価として、今回は受け取ろう」

ビンセントは、ポークビンダルーとチーズクルチャを食べた。

「本場ゴアより、うまいだろ?」

ポークビンダルーは私たちが知り合った場所インド・ゴア州の名物カレーなのだ。

私が冗談を言ったら、彼は右手の親指を立てていた。

 

翌朝

朝食を用意している間、ビンセントは手紙を日本語で書いていた。

「ヒッチハイクでお世話になった人に送ります。日本語の文章が間違っていないか、ちょっと見てもらえませんか?」

「いいよ」

 

私は作業の手を休め、彼の手紙を読み始めた。

漢字も使って日本語で書いてある。

一年しか日本に滞在していないのに、たいしたものだ。

だが、日本語としては怪しい言葉遣いや表現が見受けられた。

 

手紙を受け取った人は完璧な文章を読むよりも、間違った表現や文字があったほうが「外国人が日本語で一生懸命に手紙を書いた」リアリティを感じるし、嬉しいのではないだろうか、と私は思った。

私は明らかな漢字の誤り以外の訂正をせず、手紙を返した。

「ビンセント、ばっちりだ。完璧。これで出しなよ」

「本当?ありがとう」

 

朝食をとりながら、彼は本日中に札幌方面に行きたいと言ってきた。

「店の営業もあるし、さすがに札幌は無理だな。次の休みまで待てるなら連れていくけど。それまで帯広にいてもいいぞ?」

「青森のねぷた祭りに行きたいので、スケジュール的に難しいです」

「そうか、じゃあしょうがないな」

「それにあと2週間で日本の滞在は終わり。フランスに帰らなければなりません」

「時間がないんだな。さて、どうするかな・・・」

 

 

しばらくスマホに触れたあと、ビンセントは十勝清水に行く、と言い出した。

「ここは峠越えで札幌方面に向かうドライバーが多いと思う。ヒッチハイクしやすい」

スマホを見ながら、彼はこういうことを言う。

本当に頭がキレる若者だ。

「なるほど。確かに都市部よりも可能性があるな。そうだ!JRで十勝清水までいける」

私がネットでJRの運航ダイヤを調べてみたら、最寄り駅から1時間後に十勝清水行きの列車が出発することがわかった。

開店前の準備を慌ただしく終えて、車で駅に向かった。

 

車中での会話。

「なぜ日本人は、私にお金を払わせないのでしょうか?」

ビンセントがヒッチハイクで同乗中、その時々の運転手は飲み物や食べ物を彼に無償で与え、ホテルの宿泊代まで援助してくれた人がいたのだという。

私にはよく理解できる。

彼にお金を払わせなかった人たちの気持ちが。

「もしあなたがフランスに来たら、自分の支払いは必ずさせられます」

納得いかない表情のビンセント。

「そうか。でも私が旅をしたアジアや中南米は同じだったよ」

「どちらと?日本?フランス?」

「日本とだよ」

「そうなんですか・・・」

彼はショックを受けている様子。

 

列車が定刻通り到着し、ここでお別れ。

「いつかまた来たいですね、帯広に」

ビンセントはこの街を気に入ってくれたようだ。

「ああ、いつでも。官僚になって出世したら私をフランスに呼んでくれよ、文化交流とかの口実でさ。あはははは」

ハグしたあと、彼は列車に乗った。

見えなくなるまで手を振り続ける。

 

 

私はビンセントが北海道に行きたいと連絡をくれたとき、彼の面倒を徹底的にみようと決めた。

かつて自分自身が東南アジアや中南米で、たくさんの人たちに助けてもらい旅をしたことを思い出したのだ。

 

今度は私の番だ。

私が旅人の世話をする番が回ってきたのだ。

今まで自分が旅先で受けた恩を今回はビンセントに少し返しておこう。

 

ビンセントがフランスに戻ったら、北海道の話や帯広の話をするのだろうか?

もし彼の話を聞いたフランス人が北海道に興味を持ってくれて、遊びにきてくれたら面白いな。

そしてビンセントも、いつの日かフランスに来た旅人の面倒をみるかもしれない。

そうなったら面白いな!

そんなことを考えると、私は愉快でたまらない気分になってくるのだ。

 

誰かが誰かに善意のバトンを手渡していくように、世界はグルグル回っている。

そんな世界もある。

私は信じている。

 

 

2018年インド・スリランカ旅行記 終わり

余談・2

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