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インドの山奥で

1999年3月12日

 

 

Gangtok, Sikkim, India

 

 シッキム州を訪れて印象に残った事は、史跡や寺院といった特定の場所ではない。

 シッキムの存在そのものである。

 

「私はインド人ではない、シッキム人だ」

 出会う人は皆一様に誇らしげに言うのだ。

 政治的な理由でインドに併合されたが、元々シッキム州は独立王国なのである。

 

 北に中国、南にインド、東にブータン、西にネパール。

 シッキムは周囲を四つの国に囲まれた政治的な地域だ。

 州都ガントクを歩くと、フリーチベットのポスターが目につく。

 街では警察や軍関係の車両を多く見かけ、緩衝地域特有の緊張感を感じる。

 

 ところが周囲の喧騒と比べ、ガントクで出会った人は誰もが素朴で親切だった。

 ここにはうるさい客引きや強引な物売りはいなかった。

 ただ、誇り高いシッキム人がいただけだ。

 

 シッキムは私の想像を遥かに超える辺境だった。

 ダージリンからガントクまでの道は舗装がしっかりしていたが、その後に旅した他の町や村を繋ぐ道路は悪路が多かった。

 バスは当然のように細く曲がりくねった断崖絶壁の山道を走っていく。

ガードレールがないので、もしハンドル操作を誤ったら乗員全員が谷底へ一直線に落ちていく。

 恐ろしくて、車窓から景色を眺める余裕はなかった。

 

 シッキムのバス移動では、面白い光景を度々目にした。

 どんなに山奥の人気のない場所でも、どこからともなく「ひょっこり」と

人が現れてバスに乗り込んでくるのだ。

 一体どこに彼らの家があるんだろうか、と不思議でしょうがなかった。

 

 感動的な場面に出くわしたこともあった。

 午後を過ぎ、田舎町ナムチからゲイジンへの移動中の出来事だ。

 20人位の男女小学生がバスに乗り込んできた。

 ちょうど集団下校の最中だったようだ。

 

 バスの車内は子供達の話し声で途端に賑やかになる。

 ところが引率の先生が合図をすると子供達は話を止め、一斉に童謡のような歌を合唱し始めた。

 

 車内に子供達の歌声が響き渡っていく。

 子供達の透き通った歌声は、私の心に強く響いた。

 目を閉じながら、彼らの歌に聞き入っていた。

 私は子供達の歌声と美しい旋律に感動し、恍惚の表情を浮かべていた。

 ミニコンサートは子供達がバスを降りるまでの約一時間続いた。

 

 西シッキムはバスが走れない砂利道の悪路が続く。

 だから四輪駆動のジープは、地元民の足としてタクシーのように使用されてるのだ。

 ジープでの移動で辺境を旅する気分は満喫できたが、路面から伝わる振動が激しく、体中が痛くなってくるのが難点だった。

 そしてバスと比べ、当然ながら運賃が高くつくのが悩みの種だった。

 

1999年3月14日

Yuksom, Sikkim, India

 

私は深い理由もなく、ユクサムという小さな村に来てしまった。

ユクサムは、まるで自分は日本の農村にいる、と思えるような既視感を覚える場所であった。

 村人の顔立ちも驚くほど日本人そっくりだった。

 

 私は自分自身に呆れていた。

 好奇心の赴くまま思いつきで旅を続けていたら、とんでもないインドの山奥に辿り着いてしまった。

 

 ユクサムはチベット仏教の聖地らしく、ダルチェと呼ばれる五色の仏教旗が村中に立っていた。

 ここはカンチェンジェンガ山のベース拠点になる村だと聞いたが、私は登山客ではなく、仏教の巡礼者でもなかった。

 小さな山奥の村に目的も無くやって来て、することが思いつかない。、

 

 静まり返った村で、小さな不幸が私に起こった。

 この村を散策中、突然便意に襲われた。

 助けを求めたくても、周囲に人はいない。

 奮闘も虚しく、宿に戻る直前に脱糞してしまった。

 

 嗚呼、やってしまった!!

 

「とうとう私もウンコマンになってしまったのか・・・」

宿の浴室で汚れたパンツを洗っていると、切なさで胸がいっぱいだ。

 一体私は何をする為に、ここまで来たのだろうか?

 自問自答したが、もちろん答えは返ってこない。

 

 

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