SPICE CURRY & CAFE
SANSARA
スパイスカレー&カフェ サンサーラ
仏の村
1999年3月22日
Bodhgaya, Bihar, India
辺境の旅にすっかり懲りてしまった私は、たまに観光でもしようと思い聖地ブッダガヤに向かうことにした。
目当ては菩提樹(ぼだいじゅ)。
お釈迦様がその下で悟りを開いたと伝わる樹木を見たくなったのだ。
カルカッタではあまりの恐ろしさに、早く脱出したいと思ったインドだった。
ところが今ではもっと多くの町に行ってみたい、と思わせる魅力的な国へと変化していた。
鉄道を乗り継ぎ、ガヤの駅に降り立つ。
周囲を見渡すと相変わらずの人ごみと騒音だ。
雑踏の中で一人の若い僧侶と目が合った。
「ブッダガヤに行くのか?」と話しかけられ、私はうなずいた。
「一緒に行きましょう、ついてきなさい」
僧侶に手招かれ、リキシャーに相乗りしながらブッダガヤに向かった。
ブッダガヤはのどかな田園風景が広がる静かな場所だった。
仏教各派の寺院が建立されていて、タイ、ミャンマー、チベット、韓国、日本など各国の僧侶が道を行きかっていた。
色とりどりの僧衣や宗派によって特徴がある寺院は、見ていて興味は尽きなかった。
二人を乗せたリキシャーは、平屋の小さな建物の前で止まった。
「ここが私の寺です」
彼はバングラデシュ寺院の僧侶だった。
「お腹がすいていませんか?」
寺の中に招かれて食事まで御馳走になり、拙い英語で彼と世間話をする。
「お金がなくて小さい寺だが、将来的には大きくしていきたい」
この寺の僧侶は彼を含めて3人しかいなかった。
彼は私が手に持っていたロンリープラネットに興味があるようで、会話をしながらチラチラと本に視線を向けていた。
「どうぞ」
本を手渡すと、彼は楽しそうに写真のページに見入り、英語で書かれた文章を目で追いながら、次々とページをめくっていった。
私はその様子を見ながら、この親切な僧侶に何か自分に出来ることはないだろうか、と考えていた。
「インドの旅が終わったら、この本を貴方に差し上げたいと思います。本を郵送しますので送り先の住所を書いてもらえませんか」
彼に提案してみた。
彼は微笑みながら、私の手帳にバングラデシュ本国の住所と名前を書き入れた。
住所には首都のダッカと書かれていた。
僧侶に丁重に礼を述べ寺院を去ると、一台のオートバイが接近して私の横で止まった。
オートバイに乗っていたのは、私と同年代くらいの男だった。
「私はアルン。いい宿を教えてあげるヨ」
見事な日本語だった。
彼は私にチベット寺院での宿泊を勧め、行き付けのレストランの名を告げて去っていった。
チベット寺院の宿坊は清潔で、喜捨として納める宿代も安かった。
彼の言うことは本当だった。
宿で一息ついた後、その彼行きつけのレストランで夕食を取ることにした。
間もなく、彼がオートバイに乗って颯爽と現れた。
彼は当然のように私の隣に座り、いきなりビールを飲み始めた。
「インドの田舎に興味がありますか?私が案内してあげるヨ」
アルンさんは世話好きな男だった。
滞在の三日間、彼は私の無料専属ガイドになっていた。
自宅で奥さんの手料理で私をもてなしてくれた。
彼の背中にまたがり、オートバイで田園の道を走った。
小さな石窟に案内され、日本から持ってきた般若心経をデタラメな節で唱えた。
期待していた菩提樹は、いざ訪れてみると、これといった感慨は湧いてこなかった。
ブッダガヤのあるビハール州は、インドでも特に貧しいと聞いていた。 だから彼は毎日私に付き合って大丈夫なのだろうか、と気になってきた。
「友人と共同で土産店を経営しているので問題ない」
彼はそう言っていたが、とても商売に励んでいるようには見えないのだ。
おかしなことに無職の私が、彼は仕事をちゃんとしているのかと心配していた。
アルンさんの無償の親切に、私は戸惑っていた。
過剰な親切は、必ずウラがある。後で金銭の要求が発生するのか?
いつもの思考回路で、なぜ彼はこんなに親切なのだろう、と考えてしまうのだ。
そして彼に対する、ある疑念をどうしても脳裏からぬぐえなかった。
彼は今まで多くの日本人を騙してきたのではないのか?
そう疑念を抱かせるのに十分なほど、彼の日本語は流暢だったのだ。
そういえば彼は私に終日つきあって、何らかのメリットがあったのだろうか。
彼の店で私は何も土産物を買わなかったし、彼も無理に売りつけようとはしなかった。
私が彼にしてあげたことといえば、滞在2日目に私のおごりで朝から晩まで一緒に浴びるほど大酒を飲んだことくらいなものだ。
結果的に、心配していたトラブルは何も起きなかった。
思い過ごしだったようで、私は自分の強い猜疑心を反省した。
インドにも色々な人がいる。
人の善意を見分けることは難しい。
もしかすると、にわか仏教徒の私に御仏の加護があったのだろうか。 仏教の聖地で、そんな妄想が浮かんで消えた。