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南インド雑感

1999年4月2日

Chennai, Tamil Nadu, India

 

 日本で一番有名なインド映画は、今でも「踊るマハラジャ」だと思う。

この映画の主演・ラジニカントは南インドのタミルナドゥ州の出身だ。

 平凡なタクシーの運転手から、インドの国民的映画俳優まで登り詰めたラジニカントは、南インドの英雄である。

 

 ブッダガヤを後にした私は、プリーからマドラスへと東海岸沿いに移動した。

 マドラスは南インド最大の都市である。

 この町に何日か滞在し、インドの北と南では全く別の国であることが実感としてわかっていく。

 

 人種が違う。

 南インドには征服者のアーリア人に追われた先住民族トラヴィダ人が多く住んでいる。彼らの肌は黒く、性格は穏やかである。

 以心伝心という言葉が日本にあるが、南インドの人達と接していて何度もそんな気分を味わった。

 

 言葉が違う。

南インドの公用語はタミル語で、標準語であるヒンディーを全く話さない。北インドから来た観光客が店の人間と英語で会話しているのを見ていて本当に同じ国の人間同士なのかと思った。

挨拶は「ナマステー」ではなく「ワナカム」である。

 

 食文化も違う。

ミールス。バナナの皮に乗ったカレー定食は味もアッサリしている。

カレーは小麦のナンやチャパティよりも、もっぱら米と一緒に食べる。

紅茶よりもコーヒーを飲む。

 

 本当にインドは奥深い。この多様さがインドの魅力なのだ。

旅は当初予定していた3ヵ月を経過したが、日本に帰る気は全くなくなっていた。

 

 南インドの旅で最も記憶に残ったのは、世界的に有名な聖者・サイババ探しだ。

 彼は信者の前で数々の奇跡を起こすという。

自分の手の平から灰や時計を出現させ、それを信者に与える。

 この謎めいた怪しさは一体なんだろう!?

 好奇心でウズウズしてくる。

 彼が奇跡を起こす瞬間を自分の目で確かめたくなった。

 

 普段彼がプッタパルティのアシュラム(道場)にいることは知っていた。 私はマドラスで聞き込みを始めた。

 すぐに居場所がわかって会いに行けるだろうと楽観的だった。

 地元民にサイババの居場所を尋ねると、

「いま彼はプッタパルティにいない」と答えが返ってきた。

「どこに行けばサイババに会えますか?」と聞き返す。

「コダイカナルだ」

 

 コダイカナルまで行き、「ここにサイババがいると聞き、やって来ました」と言うと

「今彼はホワイトフィールドにいるから、来るのは一週間後だ」

と言われる。

 

 私はホワイトフィールドには行かなかった。

 何故かタイミングが会わなかった。

 もしかすると出会った人が勘違いして答えていたのか、思わず適当なことを言ってしまったのか。

 「インド人は親切心が過剰のあまり、知らない事柄もつい答えてしまう」と聞いていたから、怒りは湧いてこなかった。

 

 本気で会う気なら、アシュラムに行って問い合わる方法だってあった。だが正直言って、そこまでの情熱は私にはなかった。

途中から面倒くさくなり、サイババ探しを断念してしまった。

 不思議なもので、失敗に終わったからこそ、今も強く覚えている。

 

 南インドの旅は全般的に大きなトラブルがなく順調だった。

もし誰かに「また南インドに行きたいか」と問われれば、喜んで

「もちろん、また行きたい」と即答するだろう。

 にもかかわらず旅を振り返ってみると、南インドの印象が今ひとつ薄いのだ。

 

 思い切り笑ったり、怒ったり、喜んだり・・・心に強く残る記憶がない。

 旅が快適に進みすぎて、喜怒哀楽といった感情の振幅が小さかったのだと思う。

 どうやらトラブルや苦労の記憶の方が、後々残っていくものらしい。

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