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コバラムビーチ

マネーベルトの中に、パスポートが入っていない。
私は大急ぎで宿に戻った。
バックパックから荷物の中身を全て取り出し、ベッドの上に広げた。
貴重品を入れているポーチの中には、パスポートはなかった。
トラベラーズチェックや現金はなくなっていないので、盗難とは考えにくかった。
ベッドの下や洗面所など、思いあたる所を全て探したが見つからない。

もし紛失ということになれば、再発行の手続きが必要だが日数は相当かかると思われた。
チェンナイに日本領事館があるので、そこで手続きをすることになるのだろう。
私は5日後にスリランカに行き、現地でホームステイする予定となっていた。
最悪の場合、これはキャンセルになる。
手配しなければいけないことが山のようにある。
今後を想像して、私は憂鬱な気分になってきた。
管理人が戻ってきたら事情を説明し、宿を早々に出ようと思っていた。

落ち着かない気分で数時間過ごした。
夕方に管理人が戻ってきたので、事情を説明した。
「私のパスポートが見当たらないので探しています」
彼は笑い出した。
「パスポート?何言っているの。チェックインのとき、少し私が預かるって言ったでしょう」
「じゃあ、あなたが持っているの?」
彼は管理人部屋に行って、私のパスポートを持ってきた。
「いやあー、よかった、よかった」
「そうだな。わははは」
私の早とちりであった。


「何かあったのかい?」
自分の部屋に戻ろうとすると、隣部屋の白人カップルから声をかけられた。
各部屋(コテージ)の玄関前にはテーブルとイスが置いてあり、二人はそこでくつろいでいた。
私とマネージャーのやり取りが聞こえたので、気になって声をかけてきたのだ。
事の顛末を二人に話したところ、大笑いされた。

「それは大変だったね。よかったら一緒に飲まないか?」
男性はグラスを私に差し出し、ビールを注いだ。
ビールはゴアで飲んで以来、2週間ぶりだった。
気が緩んだのか酔いが進む。

お互いの自己紹介をする。
彼らはイスラエルからの旅行者で、コヴァラムに1週間滞在しているという。
男性は30代前半くらいの年齢で、山羊の様な長いあごひげをした2m近くの大男。
本国ではユースチームで、バスケットボールのコーチをしているらしい。
有名な選手だったのかもしれない。
彼によるとバスケットは、イスラエルではメジャーなスポーツなのだという。
女性は20代後半くらい、小柄で鼻にピアスをしていたのが印象的だった。

二人と話していて、日本のことをよく知っている、と感じた。
日本語の挨拶をしてくるのにも驚かされた。
東日本大震災や原発事故も話題になった。
それにくらべ、私はどうなのか。
ヘブライ語なんて全くわからない。
死海のことを覚えていたので、その話をしたくらいだろうか。
自分はイスラエルのことを何も知らないな、と痛感した。
少し恥ずかしい気分だった。


テーブルの上のスケッチブックに目が留まる。
インド人男性のイラストが、独特のタッチで描かれていた。
「これは、あなたが描いたのですか?」
私が尋ねたところ、彼女がイエス、と言う。

スケッチブックを見せてもらうことにした。
パラパラめくっていく。
インドの街並み。
チャイを売る男。
犬。
サリーを着たインド女性。
絵具で彩色しているページもあった。

スケッチの隅に、日付と場所が英語で書かれていた。
彼女が楽しんで旅をしているのが伝わるイラストだった。
しばらく眺めたあと、私は彼女に質問した。
「あなたはアーティストなのですか?」
彼女は笑って答えた。
「ありがとう。でもノーよ」

私はその後買出しに出かけ、ビールを大量購入し、三人でちょっとした宴会となった。
彼女が夕食で、イスラエルの家庭料理をふるまってくれた。
豆と野菜を香辛料で炒めたトマトベースの料理で、パンをつけて食べる。
優しく素朴な味わいが印象に残った。
私が「美味しい、美味しい」と言いながらバクバク食べているのを、彼女は嬉しそうな表情で見ていた。
深夜まで続いた宴会は、酒と料理がなくなり、自然にお開きとなった。

翌朝、私はバスでトリヴァンドラムに戻り、コーチン行きのバスに乗った。
インドで滞在できる日数も残りわずかとなっていた。
やれることは、ほぼ出来たという満足感があった。
私の気持ちは既に、次の旅行先スリランカに向かっている。
しかし、やり残したことが一つだけあり、それだけがひっかかっていた。

スニ。
今度こそ、彼女に会えるのだろうか?



 

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