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バイピーン島

私は2週間ぶりにフォートコーチンに戻り、マルコスのいる安宿に直行した。

チェックインを終え、宿のロビーでスタッフと談笑していると、見覚えのある男が中に入ってきた。

「シャン!元気だった?」
「まぁね。ところで、この前の約束を覚えているか?」
「ん?なんだっけ」
「俺の実家で、飯を食べる話さ」

以前シャンとした会話。
彼が携帯で料理の画像を見せながら、「俺の母親の手料理は絶品だ」と自慢する。
それを見た私が、「これは美味しそうだ、一度食べてみたいね」と答えた。
どうという事はない、忘れていい世間話である。
しかし、彼はその時のやり取りをしっかり覚えていたのだ。

「ああ、思い出した」
「じゃあ、明日の昼食は俺の家で」
「了解。楽しみだ。・・・あれ?店はどうするの」
「スニが戻ってきているから、大丈夫だ」
「おおぉー、そうなのか!明日、彼女は店にいるんだね」
「そうだ。じゃあ、明日の昼に店で待ち合わせしよう」



翌日の昼時。
私はシャン達が働くブティックに出向いた。
店にはシャンとスニがいたのだが、どうも様子がおかしい。
二人は激しい口論の真っ最中なのだ。
「スニ!」
私の呼びかけに気づいた彼女は目を大きく見開き、私の顔を凝視する。
そして笑顔を取り戻した。
「戻ってきたのね」

スニには積もり積もった話が色々あるのだが、シャンが私をせかす。
「母親が料理を作って家で待っているから、早く行こう」
私は彼女の勤務シフトを確認した。
「明日は店にいるの?」
返事はイエス。
「明日買い物をここでするから、その時に話をしよう」
そう彼女に言って店から出た。

シャンのオートバイの後部座席にまたがり、出発する。
フォートコーチンからフェリーに乗り、彼の実家があるヴァイピーン島に渡る。

島といっても隣町に行くような感覚、10分くらいで到着。
オートバイは巨大コンビナートが並ぶ工業地帯を走り抜けていく。
ノーヘルで乗るオートバイは、爽快そのものだ。
途中の沿道では地元の若者が集まってチェスに興じているのを見かけた。
若者の一人が私と目が合い、手を振ってきた。
観光目的では絶対見ることが出来ないし、自分の意思ではないから見ることができた景色が、眼前に広がっている。

自分は何故ここにいるんだろう?
ここは一体どこなんだろう?
オートバイに乗りながら、そんな思いが交錯していく。
旅をしていて、一番ワクワクする瞬間だ。

オートバイはやがて、地元色の強い民家の密集したエリアに入った。
シャンは細い路地を器用な運転で通り抜け、出発から30分ほどで彼の実家に到着した。
玄関から入るとすぐにリビングになっており、シャンの母親と叔母に会い、挨拶をする。
叔母の家も近所らしい。

シャンに勧められ、リビングの椅子に腰をおろし周囲を見渡す。
祭壇にはキリスト像があり、そばに壮年男性の顔写真が飾られていた。
何も本人は言っていなかったが、シャンの父親と思われた。
リビングに隣接するキッチンに視線を向けると、ある人物が私の視界に入った。

髪は坊主頭、性別不明、年齢は十代と思われる人が、床に座り込んでいた。
天井を見上げている。
やがて動き出すが、自立歩行もままならないようだった。
移動するときは体を横たえ、手足をばたばたさせ、まるで泳ぐように床をはって動いていた。
言葉も話せないようだった。
「妹は病気なんだよ」
シャンが厳しい表情で言った。

「さあ、食事にしよう。母さんが御馳走を用意している」
シャンの母親と叔母が料理を運んできた。
魚のフライ料理。
魚カレー。
チャパティ。
ライス。
油控えめで塩加減もちょうどよい。
大切なお客をもてなすときは魚料理。
これがケララ地方の流儀だ。
「うーん。美味しいよ、シャン!」
あらためてインドの家庭料理は美味しい、と実感する。
「そうだろう?どんどん食べてくれよ」
自慢気な表情のシャン。
食事をたいらげた二人は、紅茶を飲んでしばし談笑。
「ああ満腹だ。少し昼寝をしたいから、あとで起こしてもらえないか」
そう言うなり彼は床に横になり、たちまちイビキをかいて眠り始めた。

私も満腹で眠気を感じていたが、昼寝をすることが許されなかった。
叔母が連れてきた甥っ子二人(おそらく小学校低学年くらい)が、私と遊ぼうと誘ってくるのだ。
おそらく彼らにとって私は、人生で始めて間近に接する外国人なのだろう。
興味津々の表情を浮かべ、目をキラキラさせて接してくるので、これは断れない。
最初はLEGOのような玩具で一緒に遊んで、飽きたようなので外に出てサッカーをした。

「ねえ、これ見てよ。面白いから!」
オートリキシャーが運転をミスって、田んぼに落ちて横転している。
暴れた野良牛に、ど突かれて逃げまわる男。
それを見ながらゲラゲラ笑う甥っ子たち。
次々とお勧め動画を私に見せてくる。
玄関前の軒先で携帯の面白動画を私に見せ、甥っ子たちはキャッキャと喜んでいる。
30分ほど彼らに付き合っていたが、さすがに疲れてしまった。
私は家の中に戻ろうとして、玄関のドアを開けた。
「シャン。そろそろ戻ろう・・・」


シャンは大イビキをかいて、深く眠っていた。
彼の横にはいつの間にか坊主頭の妹が寄り添い、小さな寝息を立てていた。
妹の穏やかな表情は、とても幸せそうに見えた。

もう少し寝かしておくか・・・
そんなことを思っていたら、
台所から出てきたシャンの母親と目が合い、お互い微笑した。



 

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