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インドの酒

 私はラジャスタン地方で、砂漠の風景を見たいと考えていた。

 ここで西海岸に移動しようと決めたのは、ラジャスタンへ行くのにアクセスが良い、というのが大きな理由だ。

 それとは別に、理由がもう一つあった。

 

 ダマン。

 スラトからダマンは目と鼻の先ほどの距離である。

 ビールを飲む。

 ただそれだけの理由で私はダマンに行くのだ。

 

 意外にも、インドでは酒を飲む機会は多くない。

 レストランで飲むビールは非常に高価で、大瓶一本50ルピー前後だった。

 当時カレー定食のターリーは、15~20ルピーが相場だった。

 ミネラルウオーターが1リットルで10~15ルピー。

 宿泊費が安宿に泊まって50~100ルピー。

 こうした物価事情や旅費節約のため、私はビールを普段飲まない習慣になっていたのだ。

 

 ところが南インドで訪れたポンディシェリー、カライカル、マエ。

 他の町よりも半値の25~30ルピーでビールが飲めた。

 私は特定の町だけ酒が安いのは何故なのか、気になっていた。

 調べてみると、これらの町は連邦直轄地域と呼ばれる特別行政区で、酒の免税地区になっていることが判明した。

 

 私は旅のお供として学生時代に使った地図帳を持ち歩き、旅先の宿で眺める事が多かった。

 そんなある日、これらの町に一つの共通点があることに気がつく。

 

 地図帳には、第二次世界大戦の時代に、欧米列強国が植民地覇権を争った勢力図が載っていた。

 インドはその大半の領土がイギリスの植民地であったが、ポルトガルやフランスの植民地が飛び石のように港町に点在している。

その港町の位置や地名が、酒の安かった町と見事に合致するのだ。

 

 これから向かうダマンも旧ポルトガル領で、きっと酒は安いのだろう。

 久しぶりに心置きなくビールを飲めると思い、私の胸は躍った。

 

 

1999年5月8日

Daman , India

 

 ダマンは予想通り酒が安い町だった。

 酒場は昼間から堂々と営業しており、私も地元の酔っ払いに混じってビールを飲み始める。

 

「乾杯」

 

 冷えたビールはのど越しが最高に気持ちよく、あっという間に大瓶2本が空になった。

 すっかりほろ酔い加減になり、上機嫌で街を散策する。

 一軒の民家の前を通り過ぎようとした時 庭先にいた男と目が合った。

「お茶でも飲んでいかないか」

 全く知らない人間から声をかけられても、私は断らなかった。

 

 観光客の訪れない地方都市では、人に騙される確率はかなり低い。

 それに出会う人全てを疑って接していると疲労するし、楽しくない。

 時にはリスクを引き受けつつ、相手に委ねることも必要なのだ。

 これまでインドを旅し、学んだことだ。

 

 遠慮なく彼の招待に応じ縁側に座って会話をしていると、奥様がチャイを運んできた。

 話をしてわかったのは、彼はインド人ではなく、UAE(アラブ首長国連邦)国籍の人間だったことだ。

 イスラム教は一夫多妻なので、こちらの奥様の他に本国にも妻がいるということらしい。

 会話をしていて私が日本人とわかると、彼の眼光が急に鋭くなった。「私の香水を日本で売ってみないか?君が代理店をすればいい」

 

 彼は香水の輸出入を手がけるビジネスマンだった。

 熱っぽく商売の話を始め、私を説得し始める。

 通りすがりの旅行者に対し、彼はいきなり商売を一緒にしようと持ちかけるのだ。

 

「いいですね、是非一緒にやりましょう!」(ガッチリ握手、そしてハグ)

 このドラマでよくある展開は、実際に起こりうるものなのか。

 それに何といっても、相手は老獪という評判のアラブ商人である。

 話をいくら聞いても、これが現実の話とは思えなかった。

 

「ビザが残っているので、今はまだ日本に戻る予定はありません」

 彼に告げた。

「そうか、それなら日本に戻ったら、ここに連絡してほしい」

 彼はそう言って、自分の氏名、UAEでの住所と連絡先をメモ紙に書き込んで私に渡した。

 彼の目は最後まで真剣そのものだった。

 私はお茶の礼を言い、民家をあとにした。

 

 歩きながら帰国後の自分の姿に思いを巡らせる。

 日本へ戻ったあと、私はどうすればいいのだろう。

 何をして生きていけばよいのだろうか。

 

 急に現実に戻されたような気分になった。

 酒の酔いが醒めていくのを感じた。

 雑貨屋でビールとウイスキーをしこたま買い込み、宿に戻り飲み直した。

 この日の酒の味は、いつもより少し苦かったかもしれない。

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