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トライバルエリア

 フ ンザでの滞在で身も心もリフレッシュしたが、今度は刺激のある場所へ行きたくなってくる。

 人間とは誠に身勝手なものである。

 私は西部のペシャワールまで足を伸ばすことにした。

 

 

1999年6月13日

Peshawar, Pakistan

 

 ペシャワールは砂埃が舞っていた。

 慌しく行き交う人、車、ラクダ。

 歩いていると、周囲からハシシ(大麻樹脂)の甘い香りが 漂ってきた。

 殺気立つ街の雰囲気に飲み込まれそうになる。

 

 ペシャワールに来た最大の目的、それはトライバルエリアだ。

 そこは連邦直轄部族地域と呼ばれる外国人進入禁止の無法地帯。

 タリバーンが潜伏しているという噂だった。

 

 危険とわかりつつも、是非行って見たい場所だった。

 一人なら心細いが、誰かと一緒の行動ならば、なんとかなるだろう。

 今考えると無謀な行動ではあるが、とにかく同行してくれる日本人旅行者が見つかり、二人でトライバルエリアを訪問することになったのだ。

 

1999年6月15日

Tribal Areas, Pakistan

 

 エリアの入り口には、現地語と英語で書かれた看板が立っていた。

「ここから先はパキスタン政府の権力が及ばない区域」

 緊張感が高まり、心臓の鼓動が激しくなっていく。

 

 中に入って進んでいく と、路地裏から子供が飛び出してきた。

 銃を構える真似をして「パンパン!」と叫ぶ。

 あっけにとられる私達の顔を見て子供はニコッと笑い、走り去っていっ た。

 心臓が止まりそうになった。

 

 エリア奥まで進入する勇気がなくなってしまった。

 私たちは来た道を引き返し、入り口付近の雑貨店に立ち寄ってみた。

 店内に は銃やライフルがずらりと並んでいた。

 暗殺用なのだろうか、ペン型の銃まである。

「銃、ハシシ、酒、なんでもある」

 店の親父がニヤリと笑った。

 奥からウイ スキーを取り出し、カウンターの上に無造作に置く。

 国で御法度なものを全て揃えているような店だった。

 

 いつの間にか私達の背後には一人の男が立っており、 私達の動きをじっと監視するように見つめていた。

 男は警官だった。

 どこからか「外国人がいる」と通報を受け、私達の様子を見に来たのだと思われる。

 店から出ると 警官に手招きされ、事務所で懇々と説教されてしまった。

 かなり長い説教だったが、詳しい内容は理解できなかった。

 

 おそらく、

「外国人旅行者が観光気分でこの辺をウロチョロしないでほしい」

「何かあったらどうするんだ」

「問題にでもなったら俺が困るんだよ」

 その表情や口調から、こんな感じの内容で言って いたのだと思う。

 

 

 最初は今ひとつ気の進まない旅だった。

 ところが旅を続けていると、自分の中にある「何となく悪いイスラム」の印象が、次第に肯定的なもの へと変わっていくのがわかった。

 イスラムに対する否定的印象は、根拠のない誤解や偏見に基づくものであったと私は気づかされたのだった。

 

 真実は学生時代に 聞いた教授の話の中にあったのだ。

 パキスタンもインドと同じく多様で魅力的な国だった。

 幸運にも道中は大きな災難に見舞われずに済んだ。

 これも慈悲深いアッラーの思し召しなのだろう。

 私は パキスタンの旅に満足し、インドに戻った。

 

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