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バイピーン島

私はシャンという男に不信感をずっと抱き続けていた。

前回の旅で、友人スニへの結婚祝いとして日本のチョコレートを持参したが、彼女は不在だった。

彼女の実兄であるシャンと知り合ったので、チョコレートを彼に託した。

彼を身内だからという理由で信用したのだ。

しかし、スニにはチョコをほんの少ししか渡さず、残りは彼が全部食べてしまったのだ。

シャンは約束を破った、と私は感じている。

この件に関しては、スニからは「お土産は本人に直接渡さないとダメ!」と私はきつく説教されていた。

 

 

マルコスのスマホで会話してから、1時間後にシャンが私の前に現れた。

彼は私の顔を見ると、いきなりガバッと抱きついてきた。

「嬉しいぞー嬉しいぞー」と叫んでいる。

こんなに喜んでくれるのか・・・

彼の無邪気な顔を見ていたら、自分のこだわっていた感情がどうでもよくなってきた。

結局、再会を祝って彼と抱き合うことになった。

 

「時間あるんだろう?俺の実家に行こう」

シャンが誘ってくる。

またしてもバイピーン島にあるシャンの実家に行くことになった。

彼のバイクの後部座席にまたがり、タンデムで出発。

気分爽快ノーヘル走行。

バイピーンは島といっても、フォートコーチンからフェリーで10分もかからない。

多くの庶民が暮らすコーチンのベッドタウンのような場所だ。

 

二人を乗せたオートバイは、民家の密集するシャンの実家に到着した。

玄関から家の中に入ると、いきなりシャンの部屋になっている。

「ん?」

ここは以前リビングだったような気がする。

キリストの祭壇は変わらず置いてある。

 

さっそくお土産をシャンに渡した。

マルコスと同じボールペンとブラックサンダー(チョコレート)のファミリーパック。

「おおーありがとう」

シャンはチョコを開封して、すぐ食べ始めた。

「シャン、そのチョコは日本で人気があるんだよ」

「そうなのか、やはり日本のチョコはうまいな」

 

シャンは魚カレーと食パンのスライスを2枚、そしてピクルスを運んできて、テーブルに置いた。

「食べてくれ。この貝のピクルスは美味いぞ」

料理があまりにも質素なので、本当に彼らが日常的に食べている感じがする。

これを食べるのも、良い経験になるだろう。

「さっき友人から電話があって、君のことを話したら会ってみたいって。あとで家に遊びに来るから」

チョコを食べながら、シャンが言った。

 

カレーに食パンを浸しながら、私はシャンに質問した。

「君は今、タクシーの運転手をしているのかい?」

「マルコスに聞いたの?そう、タクシーの運転手」

「給料はいいの?」

「正直よくない。生活は苦しいな」

シャンはつぶやくように言った。

 

この家に来て、気になっていたことが一つ。

重い障害を持っている妹が同居していたはずだ。

だが、近くにいる気配が感じられない。

入院しているのか?施設に入ったのか?それとも・・・

あまりにもデリケートな話題なので、本人が話さない限り黙っていようと決めた。

 

カレーを食べ終わったころ、シャンの友人が現れた。

長身のヒゲもじゃの青年。

シャンと同年代で職業はタイル職人。

彼の英語があまり上手ではなく、そこが私と似ていて親近感が湧くし好感が持てる。

普段の彼は英語を話す習慣がないのだという。

素朴で実直そうなムスリム(イスラム教徒)の青年だった。

 

「なぜ我々は、いい年して結婚できないのだろう?」

「まったくだ!こんなイイ男を放っておくとは・・・女どもは見る目がないな」

「こういう話はインドも日本も同じだ」

 

わーははは!

 

3人で馬鹿話で盛り上がっていると、シャンの母親が部屋に入ってきた。

彼女は前回の訪問で何度か会っているし、外国人の印象は強く残っているだろう。

だから私のことを覚えてくれている、と思い挨拶しようとした。

 

「母は君のことは知らない、覚えていない、と言っている」

首を振って残念そうな表情をするシャン。

シャンの母親は椅子に座り、トロンとした目でTVの画面を見ている。

「すまない、母は病気なんだ」

彼女は認知症が進んでいるようだった。

3年という月日は、こんなにも物事を大きく変えてしまうのだ。

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