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蒼天

 私は弛緩しきったダラムサラでの生活から脱出することを決意し、最北端の秘境・ラダック地方へと向かうことになった。

 州都レーへ行くには、高さ5000mの峠越えを3回もしなくてはならない。 約20時間に渡る高地山岳地帯のバス移動は、インドで最も過酷な旅だった。

 

 レー行きのバスは砂煙を上げ、細い山道を天空に向かって登っていく。

 車窓からは見えるのは、岩山だらけの荒涼とした風景だけだ。

 バスのシートは硬く、砂利道の路面の振動がダイレクトに伝わってくる。  私は前方の手すりにしがみ付き、ひたすら振動に耐える。

 

 何故そんなに辛い思いをしてまでラダックに行くのか?

 ラダックの空は、息を飲むほど素晴しい青さなのだという。

 その青い空を見たい、と思った。

 私はただ、青い空が見たかったのだ。

 

 シッキム、フンザ、そしてラダック。

 当時の私は山岳地帯の秘境に随分執着していたようだ。

 旅の途中で美しい海を何度も見た。

 南インドで見たマハバリプラムのビーチ、ケララ州のコバラムビーチの海はとりわけ青く美しかった。

 だが私は開放的な海よりも、山岳地帯で見る絶景に強く惹かれてしまうようなのだ

 私の出身地が北海道の内陸地方、ということも関係あるのかもしれない。

 

 途中で軍用トラックが通り過ぎていく。

 パキスタン国境近くのカシミール・カルギルで小規模な紛争が起こり、

印パ両国は緊張状態にあった。

 

 高所の峠越えルートは空気があまりにも薄いので、それに耐えられず酸欠で倒れる人が続出する。

 何かの冗談ではなく、バスには救急用の酸素ボンベが備え付けられているほどだ。

 私が乗ったバスの車内では、実際に老婆が酸欠のため泡を吹いて卒倒してしまい、慌てて駆けつけた乗務員と家族が老婆を介抱する場面に遭遇した。

 地元の人たちにとっても相当過酷なルートなのだろう。

 

 運の悪い事に5000m付近で他のバスが横転事故を起こし、道を塞がれた影響で5時間も足止めを食らってしまった。

 この時はさすがに息苦しかった。

 なにしろ日本の富士山よりも、さらに1000m以上も高い場所なのだ。

 

 高山病の症状で頭痛がひどくなってくる。

 何度も深呼吸をするが、空気は薄いままだ。

 ふと空を見上げると、雲が一つもなかった。

 しかも空の色は青ではなく、蒼かった。

 濃い藍色の空がこの世にあるなんて知らなかった。

 

 神様が近くにいても不思議じゃないな。

 そう思えるほどの空の蒼さだった。

 まさしく蒼天だ。

 蒼天が視界に広がっていた。

 

 

1999年7月8日

Leh, Himachal Pradesh, India

 

 結局早朝4時にケーロンを出発したバスは大幅に遅延し、レーに到着したのは深夜0時過ぎだった。

 悪路で20時間のバス移動・・・まるで荒行である。

 なんとか宿を見つけたが、あまりの疲労で翌日の昼まで寝込んでしまった。

 

 州都レーの標高は3500m。

 少しは空気が濃くなると期待していたが、現実は甘くなかった。

 ここでも高山病で苦しみ、滞在中は常に息苦しい感覚があった。

 乾燥した空気の影響で、喉が渇いて仕方がない。

 私はペットボトルを常に傍らに持ち、いつも水ばかり飲んでいた。

 

 レーの街では、周囲の寺院巡りをしている旅行者と多く出会った。

 ラダック地方ではゴンパと呼ばれるチベット寺院が多く、なぜか決まって断崖絶壁や岩山の頂上にあることが多い。

 それらの寺院は遠くから見るのは美しいが、拝観するのは大仕事だった。岩山の上にある寺院まで、石組みの階段を酸欠気味で登り続けていかなくてはいけないのだ。

 

 寺院に辿り着く前に青息吐息になり、・・・もう拝観なんかしなくてもいい・・・早く帰りたい・・・という気分になる。

 

 レーはチベット人の多い街だった。

 レストランや食堂の料理は何でもおいしい。

 ゴンパは壮麗で美しく、少年僧侶はかわいらしかった。

 訪れたゴンパの祭礼儀式も見ごたえがあった。

 

 見上げる空も美しい。

 苦労してここまで来た甲斐があったと思った。

 にもかかわらず、旅を楽しんでいない自分がいた。

 本来であれば、もっと楽しんでいいはずだった。

 あれほど旺盛にあった好奇心は弱まり、全ての物事に対しての反応が鈍くなっているのを感じた。

 6ヶ月の滞在ビザは間もなく切れようとし、私は倦怠感に包まれていた。

 

 紛争地域のカルギルからレーは、わずか234kmの距離だ。

 だが滞在していても街は平穏そのものといった感じで、近くで戦争が起きている緊張感はまるで伝わってこなかった。

「戦争といったって、所詮ビジネスなのさ」

 雑貨屋の親父が達観した顔で言っている。

 

 街には何事もないかのごとく、多くの旅行者が訪れてきていた。

 行きかう人たちも特別変わった様子は見受けられなかった。

 そんなある日、転機が訪れる。

 

 私は正午頃に目覚め、外国人観光客用のレストランで食事をしていた。

 普段は読む習慣がない英字新聞を、その日に限って手に取り目を通していた。

「F1のM・シューマッハがレース中に大怪我、今期の出場は絶望的」

 

 ふーん。

 そういえば日本にいた頃、F1のレース結果は結構気にしていたな。

 

 さらに新聞を読んでいくと、現在レーの周辺で起こっているカルギル紛争の話題が触れられており、その中のある記事に目が吸い寄せられる。

「インド政府が、イギリスから軍用ヘリコプターとミサイルの購入を決定」

 

 そろそろインドの旅も潮時かもしれない。

 戦争が起きているという実感が、少しづつ湧いてきた。

 見えなくても自分の近くで、それは確実に起こっていたのだ。

 

 

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