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天使の都

 

1999年7月30日

Bangkok,Thailand

 半年振りにタイに戻ってきた。

 首都バンコクのカオサン通りには、安い航空券や旅の情報を求めて、世界中からバックパッカーが集まってくる。

 私はここカオサンに腰を据えて、今後の旅をどうするのか決める事にした。

 

「くーっ、うまいなァ」

 久しぶりのビールを屋台で楽しむ。

 暑いバンコクでは、ビールに氷を入れて飲むのが御当地流である。

 タイでの食事はインドのような宗教的制約がない。

 だから肉をふんだんに食べることができる。

 

 前回タイに滞在したときは、料理に入っている香辛料や香菜が苦手でしょうがなかった。

 ところがいつの間にか全く気にならなくなっていた。

 食べ物がおいしくて仕方がないのだ。

 インドで苦労した食事の経験は、ここではプラスに作用している。

 人間万事塞翁が馬である。

 

 

「サバーイ」

 これは快適を意味する、タイ人の大好きな言葉だ。

 カオサンには旅に必要なあらゆる物が売っており、日本のようにコンビニまである。食事も安くて美味しい。

 私は天国のような便利さを満喫した。

 

 地元タイ人はバンコクのことを「クルンテープ」と呼ぶ。

 天使の都という意味だ。

 天使の都は、快適で天国のようだ・・・

 インドのハードな旅を終えてタイに来ると、より強く実感できるのだ。

 「サバーイ、サバーイ」

 タイ人でなくても思わず口から出てしまう。

 長旅で緩んだ旅のテンションが、また上がってきた。

 

 以前お世話になったナットさん一家に連絡する気は全くなかった。

また彼らに行動を制限され、部屋に閉じ込められるのは我慢できなかった。

 一人旅にすっかり慣れてきていたし、カオサンに滞在している旅行者達と会って話をしているのが刺激的で、楽しく、快適だったのだ。

 

 安宿のドミトリーのベッドで、これからの旅をどうするのか思案する。

 私は迷っていた。

 ここで出会う旅行者は東南アジアに行く人ばかりで、南米に行く人は皆無だ。

 一番現実的なのは、東南アジア周遊プランだった。

 ラオスは東南アジアのド田舎で、居心地がとてもいいと聞いた。

 カンボジアのアンコールワット。荘厳な遺跡群は、一度見たいと思っていた。

 ミャンマーの仏塔パガンにも興味があった。ミャンマー人は随分親切らしい。

 ベトナムは高度成長期で、街は大変な熱気に包まれているそうだ。

 

 こう考えると、タイ周辺には魅力的な国がたくさんある。

 東南アジアを周遊した後、中国を経由して日本に帰ろうか。

 悪くはない考えだ。

 悪くはないが、何かが足りないと感じた。

 ここで東南アジアと決めてしまうと、後々後悔する予感がして、なかなか踏ん切りがつかない。

 例え南米に行く可能性が、1%でも残っている間は気持ちが落ち着かない。

 

 インターネットカフェに出向き、情報を集める。

 調べてみると、往復12万円台で日本から南米まで行けるようだった。

 しかしタイでの滞在期間が、ちょうど夏の旅行繁忙期にぶつかっており、同区間の航空運賃が20万円台に跳ね上がっていることが判明した。

 

 日本に一度戻ってお金を貯めてから、再度旅に出ようか。

一瞬考えたが、日常生活に埋没してしまい旅に出られなくなるだろう。 

と打ち消す。

 帰国後に直面するであろう厳しい現実は、私でも容易に想像できた。

 

 これだけの長旅は一生のうちに何度も出来ないことはわかっていた。

 むしろ最初で最後になる可能性が極めて大きいだろう。

 これが最後であるならば、私は一カ所に留まることなく、金が尽きるまで旅を続けてみたかった。

 そして、できることなら憧れの南米に行きたいと思った。

 

 自分の所持金を確認すると、2400USドル(約29万円)だった。

 ネット情報を見るとエクアドル、ペルー、ボリビアなどアンデス地方の国は物価が安く、一日10ドルあれば滞在できそうだった。

 仮に南米の一日の滞在費を10ドルと仮定して、三ヶ月の滞在で900ドル。

 バス移動などの交通費を考慮すると、1400ドル以下でバンコクから南米までの往復航空券を買わないと、実現は不可能に感じた。

 

 頭を冷やして理性的に考えると、予算面でかなり厳しい。

やはり南米行きは現実的には無理かと思いつつ、どこかに可能性はないものかと苦悩の日々が続いた。

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