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電話

 

 航空機は東京に向かっていた。

 私は機内食に出た蕎麦に狂喜する。

日本ならいつでも簡単に食べられる蕎麦は、海外では高級な日本食レストラン でしか食べられない。

 御馳走ではなく、こんな普通の日本食メニューが一番嬉しいのだ。

 

 

1999年8月7日

Narita Airport,Japan

 

 航空機は給油のため東京に立ち寄り、私は成田空港のトランジットルームで 待ち時間を過ごすことになった。

 時間を持て余したので、売店へ冷やかしに行く。

 レストランのショーウインドウには料理がたくさん陳列されていた。

「ああ、美味しそうだ」

 トラベラーズチェックを日本円に換金しようか、と誘惑に駆られる。

 だが一度換金を許してしまうと、自己制御できなくなって湯水のように金を 使ってしまう予感があった。

 

「やっぱり駄目だな」

 これからの旅費を考えると、日本ではビタ1円も使えない。

 なんとか日本円への換金を思い留まった。

 久しぶりに戻った日本は、とんでもなく物価の高い国と感じてしまう。

 アジアの国ではホテル代や食費を含む滞在費が、1日5~10ドルだった。

 この国では軽い食事を1回しただけで一瞬で吹き飛んでしまう金額だ。

 

 空腹を感じていたが、レストランに入って食事をする気が起きなかった。

「そうだ!」

バンコクのコンビニで、菓子パンを買っていた事を思い出す。

 手荷物として機内に持ち込んでいたことを、すっかり忘れていたのだ。

ショルダーバッグからパンを取り出し、簡単に食事を済ました。

 せっかく日本にいるのに、タイで買った菓子パンにパクついている・・・

 自分のやっている行為はやっぱり変だな、と思わず苦笑する。

 

 私にはロスアンゼルスからメキシコシティまでの情報が無かった。

 空港の書店にはアメリカ西海岸の観光ガイドブックが並んでいたが、 短い距離のために高いガイドブックを買うのは馬鹿げた出費だと思い、 これも購入を見送る。

 その代わり本を立ち読みをして、これからの旅に必要な情報を頭の中に インプットしようと試みた。

 

 結局記憶に残ったのは、メキシコ国境まではグレイハウンドという会社のバスを 利用するということだけだった。

 バスターミナルまで辿り着ければ、何とかなるだろうと思った。

 ロスへの到着予定時刻が日中であることを知っていたので、着いたら一気に メキシコ国境まで移動するつもりだった。

 物価の高いアメリカで宿泊する予定は最初からなかった。

 

 ロビーで現金を確認をしていると、小銭入れから10円硬貨が4枚出てきた。

 久しぶりに両親に連絡してみようか。

 私は電話ボックスの前に立った。

「もしもし・・・」

 北海道の実家に電話をすると、出たのは聞き覚えのない男性の声だった。

 

 いったい誰だろう?

 名前を聞いて、遠い昔の記憶が甦ってきた。

 母方の叔父が久しぶりに北海道を訪れていたのだ。

 彼とは子供の頃に会ったきりで、その後私とはずっと接触がなかったし、 現況について何も知らない状況だった。

 そういえば、日本は盆の帰省シーズンだったのだ。

 

「御両親は今所用のため家を空けているんだ、間もなく戻ってくるよ」

 彼は留守番を頼まれていたようだ。

「ところで、今どこにいるの?」

彼の耳にも海外放浪をしている私の噂は入っているようだった。

「日本です。成田空港にいますが、このままアメリカに行きます」

 

「えっ!?」

 

 10円玉の落ちていくスピードが速いため長電話ができない。

「私は元気で生きているので心配しないで、と両親にお伝え下さい」

早口でまくし立てるように用件を伝えた。

「!?・・・ちょっと、ちょっと!!」

 プーーーー。ツー・・・ツー・・・ツー・・・・

 電話が切れてしまった。

 

 やがて両親が帰宅し、叔父が私からの伝言を伝えることになるのが・・・

「一体どういうこと?」

「帰国したと思ったら今度はアメリカ!いつ帰ってくるのだ?」

 と、一時家の中は騒然として大変な状況になったようである。

 

 旅を終えた後に、両親から当時の騒ぎの一部始終について聞くことになったが、 あのとき電話に出た叔父には本当に悪いことをしたと思っている。

 

 ゴメンネ、叔父さん。

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