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長い一日

 

 1999年8月7日

Los Angels,United States of America

 

 

 

 自由と希望の国、アメリカ。

 カリフォルニアの空は抜けるような青空で、空気もカラリと乾燥している。

 私はこの素晴らしい景色や、アメリカにやって来た喜びを感じる余裕がなかった。

 航空機はロスアンゼルスにほぼ定刻で到着したが、先に進むことが出来ないでもたついていたのだ。

 

 どうしよう・・・

 

 ここまで来ていながら途方に暮れている。

 ツーリストインフォメーションで、グレイハウンドのバスターミナルに行く便があると聞いたが、いくら探しても乗り場の見当がつかないのだ。

 いたずらに時間が過ぎていく。

 焦りが募ってくる。

 

 確かバスターミナルは、ダウンタウンにあったはずだ・・・

 成田空港の本屋で立ち読みしながら入手した情報を思い出す。

 ここからバスを使ってダウンタウンに直接行くことにした。

 そして周囲の人から聞いてバスターミナルを探し、今日中にメキシコ国境行き のバスに乗らなくてはならない。

 

 意を決してダウンタウン行きのローカルバスに乗り込んだ。

 内心は不安で一杯だ。

 バスに乗ったのはいいが、どこで降りればいいんだろう?

 この後、私は一体どうなってしまうのか!

 全く予想がつかない展開に、私は緊張感で張り詰めていた。

 心臓が激しく鼓動していた。

 

「どこへ行くの?」

 隣に座っていた東洋人の若者に声をかけられる。

 私の大きなバックパックが気になったのか。

 それとも私がよほど困った顔をしていたのだろうか。

 

 彼とは初対面にも関わらず、知っている限りの単語を駆使し状況を説明した。

 「メキシコ国境に向かうバスに乗りたいと思っています。でもグレイハウンドのバスターミナルがどこにあるのか、場所がよくわからないのです」  本当に困っているときは、自分の拙い英語が恥ずかしいという感情はどこかに消えてしまうらしい。

 

 彼は私の話を聞いた後、思いがけない提案をした。

「この先でバスを降りたら、兄が迎えに来ることになっているんだ。 兄に頼んで、君をバスターミナルまで送ってあげる」

 

 本当にいいの!?

 彼を疑う気持ちは全く起きなかった。

「ここで降りよう。私についてきて」

 言われるまま一緒にバスを降りる。

 10分ほど待つと彼の兄の車が到着した。

 車の後部座席に座って二人の会話を聞いていると、彼らが中国系アメリカ人だということがわかった。

 

 やがて車は無事にバスターミナルに到着する。

「グッドラック、よい旅を」

 握手をし、彼らと別れる。

「本当にありがとう」

 騙されなかった。

 私は非常に幸運だった。

 

 バスターミナルに入ると、白人が全くいない。

 若者、老人、女、子供、周囲は黒人ばかりだ。

 英語を話したくても、緊張して喉から声が出てこない。

 勇気が無くて国境に直接行くバスがあるのか聞けなかった。

「サンディエゴ行き」と書かれた窓口を見つけ、バスチケットを買う。

 サンディエゴからメキシコ国境の町ティファナが近いことを事前に知っていたからだ。

 

 

1999年8月7日

San Diego,United States of America

 

 サンディエゴに到着後、バスターミナル内で「ティファナ行き」と書かれた窓口を見つけ、速やかにチケットを購入した。

 待ち時間が出来たので、待合室で漫然と過ごす。

 

 ベンチに腰掛けていると、 突然子連れの黒人女性に話しかけられる。

 彼女の英語は早口で聞き取れない。

 私がポカンとした表情をしていると、彼女はジェスチャーで私の目と彼女の荷物を指差した。

「ここを少しの間離れるので、荷物を見張っていてくれませんか」

ということのようだ。

「OK」

 見張りを引き受けた。

 30分ほどで彼女は戻り、「ありがとう」と礼を言って去っていった。

 

 彼女が去ったあと、初老の白人男性が現れてトイレ掃除を始めた。

 モップの水が絞り切れていないため汚水を引きずり、ペタペタ音を立てながら 黙々と作業をしている。

 彼は嫌々作業をしているのか、とても雑な掃除をしているのが気になってしまう。

 プア・ホワイトという言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 

 1999年8月7日

Tijuana,Mexico

 

 国境の街・ティファナにバスが着いたのは20時。

 周囲は暗くなっていた。

 初めて訪れるラテンアメリカ。

 疲労が溜まっていたので、宿の確保を優先することにした。

 タクシーを拾い、運転手に安いホテルを紹介してもらう。

 

 紹介されたホテルの宿泊費は42ドルだった。

 アメリカ人相手では確かに安い宿なのだろう。

 だが、今までアジアで一泊2~3ドルで過ごしてきた私には、それはベラボーな高さに感じてしまう。

 

 これから外出して食事をとる気力はなかった。

 バンコクからメキシコまでは飛行機の中で二連泊、加えてバス移動の連続である。

 体力的に限界に来ていた。

 

 メキシコの安宿はシングルルームにホットシャワー完備、TVつきだ。

 アジアでの旅はドミトリーの宿泊がほとんどで、TVがない、水シャワーが当たり前、おまけに毛布がないので寝袋にくるまりベッドで寝ていた。

 考えてみると、まともな宿に泊まったのは初めてだった。

 久しぶりに熱いシャワーを浴び汗を流す。

 TVをつけると、マリアッチと呼ばれる民族楽団が底抜けの明るさでメキシコ民謡を演奏している。

 

 随分金を使ってしまった、と感じていた。

 気になったので残金チェックしてみる。

 移動費や食事代も含め、わずか一日で合計80ドルも使っている ことがわかった。

 この調子で金を使っていると、あっという間に旅行資金が尽きてしまう。

 

 私は旅の終わりが近いことを予感した。

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