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本当の旅

 

 1999年8月8日

Ensanada(Baja California),Mexico

 

 

 ティファナからエンセナーダへ移動し、ラパスに向かう。

 カリフォルニア半島の南に位置する港町ラパスまでは、バスで20時間の長旅となる。

 私はバンコクで出会った旅行者のルートをトレースするようにして、国境から カルフォルニア半島を南下していく。

 車窓からは見渡す限りの荒野とサボテン、そして輝く太陽。

 どこまで走っても同じ風景が、えんえんと続いていく。

 

 道路は舗装が行き渡っており、バスの車内は静かで空調も効き、快適だった。

 車内では乗客同士のスペイン語が行き交っている。

 国境の街ティファナはアメリカ人観光客が多く訪れるため、ある程度の英語が通じた。

 これからはスペイン語オンリーの旅が続くと考えた方がいいだろう。

 

 うまく言葉が通じるだろうか・・・

 ラテンアメリカに来る前、最大の悩みは言葉の問題だった。

 

 

 途中のある町で乗客が一斉に降りていき、私はバスの車内に一人残された。

 不安がピークに達する状況であった。

 運転手と意志の疎通をしなくてはいけない。

 

 うまく通じるだろうか?

 頭の中で何回も復唱し、ようやく次の言葉を口に出した。

「キエロ・イル・ア・ラパス。テンゴ・ケ・バハール・アキ?」

(私はラパスに行きたい。ここで降りなくてはなりませんか)

「NO」

 バスの運転手が素っ気なく答える。

 どうやら通じたようだ。

 

 私はスペイン語をいつの間に学んだのだろうか?

 実を言うと旅を始める前の日本で、私はタイ語とスペイン語の2冊単語帳を購入した上で、今回の旅に望んでいたのだった。

 だから移動中のバスで、ずっとスペイン語の勉強ができたという訳だ。

 単語帳まで用意しておきながら、どうしてさっさと南米に行かなかったのか?

 行かなかったのではなく、行けなかった。

 

 南米に行く夢を捨てきれず、かといって具体的な行動を起こす勇気もなく、 その癖に小さいから荷物にならないだろうと言い訳をして、インド旅行中も 未練がましくスペイン語の単語帳を持ち続けていたのだ。

 

 肝っ玉が小さいせいで、グズグズと行動できない。

 情けない話だが、 これが私の悪い習性なのだ。

 それでも結果的にラテンアメリカへ来ることになったので、旅の途中で単語帳を捨てないでよかった、と思った。

 

 それにしても慣れない言語を話すという行為は、実際には相当な勇気が必要だということが身にしみてわかった。

 学生時代に勉強した英語ですら話せないのだから、付け焼刃のスペイン語が 簡単に口から出てくるはずがない。

 食事はスペイン語での注文の仕方がわからず、バス休憩では売店で簡単に買えるタコスばかり食べていたのだった。

 

 

 苦労の多い、ガイドブックのない旅。

 不思議なもので不安よりも、期待が大きい。

 私のテンションは上がる一方である。

 未知の経験の連続に体中からアドレナリンが出ていたのか、ずっと興奮状態が続いているのだ。

 

 

 アジアの旅では、常にガイドブックのお世話になっていた。

 本を開くと、効率的なルートや現地の物価、おすすめの安宿など豊富な情報が満載だ。

 ガイドブックは安く旅を続けるのに本当に役に立った。

 だが旅を続けていくうちに、行き先も、泊まる宿も、食事の店も、何もかも ガイドブックをそのままコピーしているような気がしてきて、これが本当に自分のしたかった旅なのだろうかと疑問を感じ始めていた。

 

 ガイドブックが悪いのではなかった。

 本の情報に頼り切り、自分の頭で考える事を放棄していたことが問題だった。

 

 今経験している不自由さ、これが本当の旅なんだ。

 私は既製品ではない、ハンドメイドの旅に酔っていた。

 

 しかし、行き当たりばったり気の向くまま旅を続けると、結果的に 高くついてしまうことになる。

 自由の代償である。

 

 この事実を理解したのは、旅が終盤を迎える頃だった。

 奔放な旅のツケは、しっかりと後で精算されることになるのだ。

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