SPICE CURRY & CAFE
SANSARA
スパイスカレー&カフェ サンサーラ
AMIGO
1999年8月9日
La Paz(Baja California),Mexico
港町ラパスはホエールウオッチが出来ることで知られる有名な観光地である。
私の目的はクジラ見物ではなく、ここでフェリーに乗り、メキシコ半島に渡ることだった。
客待ちをしていたタクシーを見つけ、運転手に向かって叫んだ。
「バルコ、バルコ(船)」
運転手は単語の意味を了解し、私をフェリーターミナルに連れて行った。
フェリーターミナルのチケット売り場に行くと、人の気配がない。
時刻表を見ると、すでにフェリーは出航していたことがわかった。
太陽が沈み、周囲が暗くなってきた。
このあと宿をどうしようか・・・
ターミナルの待合室で思案していると、 立派な鼻ひげを蓄えた小太りの中年男性が入ってきた。
様子を見ていると、彼もフェリーに乗る予定のようだ。
思い切って彼に話しかけてみた。
「どちらまで行くのですか」
「メヒコだ」
メキシコシティの事を地元メキシコ人はメヒコというらしい。
同じ行き先の人と出会って、勇気が湧いてきた。
「一緒ですね。私もこれからメヒコに行くんです」
「ふーん、そうか」
ひげ男は笑っていた。
「それで・・・今日はこれからどうするのですか」
彼に尋ねる。
彼はポンポンと自分の荷物を叩くと、持ち上げた荷物を枕のように頭に近づけ、目をつぶって眠る表情をした。
どうやら彼は、ここターミナルで野宿するつもりのようだ。
周囲に人がいるなら何とかなるかと思い、私も彼の近くで野宿することに決めた。
「ブエナス・ノーチェ」
お休みの挨拶をする。
私はバックパックから寝袋を取り出し、中に体を入れた。
もう使うことはないだろう、と思っていた寝袋。
ここで活躍するとは夢にも思わなかった。
近くでは、ひげ男がすでに荷物を枕にしてイビキをかいて眠っているのだった。
翌日無事フェリーに乗り、17時間の船旅を楽しむ。
私の席の隣には、昨日出会ったメキシコ人男性が座った。
お互い自己紹介をして、彼の名がロペスさんというのがわかった。
私はロペスさんに自分の手帳を見せた。
「VIVA MEXICO」
メキシコ 万歳、と書いてある 。
カリフォルニア半島をバス移動中、興奮のあまり衝動的に書いてしまった言葉だ。
メキシコの旅を心から楽しんでいることを少しでも伝えたかった。
それを見た彼はニヤッと笑い、私の手帳に南米各地の地名を次々書いていく。
「PUNTA ARENAS」「SANCHIAGO」「LIMA」「MEXICO」・・・
彼の本業は電気工事の技師で、仕事の関係で南米中を回っているのだという。
今回はティファナで仕事を終え、実家のあるオアハカに戻る途中の旅なのだ。
オアハカまで、メキシコシティは通り道だ。
ロペスさんの押し付けがましくない親切が、とても心地よかった。
いかつい顔にもかかわらず、彼は終始ニコニコと笑みを絶やさない。
彼は英語がほとんど話せないが、親切な人だというのが表情や態度から伝わって くる。
私が彼に対して余計な気を使ったことはなかったし、彼が私に特に気を使っている感じもしなかった。
眠くなったら勝手に眠り、お腹が空いたら一緒に食事に行く。
お互いの言葉が足りなくても、私は満足だった。
そして、とても楽だった。
やがて早朝になり、フェリーは対岸のマサトランに到着した。
バスターミナルに着くと、ロペスさんが叫んだ。
「おいアミーゴ、メヒコ行きの直行バスが間もなく出発するぞ」
メキシコシティに到着予定は真夜中のようだった。
ティファナでホテルに一回泊まっただけで、後は車中泊、野宿、船中泊。
そして今度も車中泊だ。
4日間まともなベッドで寝ていない。
強行軍の連続に、体が悲鳴を上げ始めていた。
1999年8月12日
Mexico City,Mexico
深夜1:30。
バスはメキシコシティのバスターミナルに到着した。
こんな深夜でも、バスターミナルは人の流れが多い。
来る前のメキシコのイメージは、砂漠とサボテンだらけの国といった偏ったものだった。
実際のメキシコシティは、私の想像を遥かに超える大都会であった。
都会特有の喧騒に、私は思わず身構える。
オアハカに行くロペスさんとは、ここでお別れとなる。
メキシコシティに着いたら、バンコクで教えてもらった日本人宿に行こうと決めていた。
この宿が地下鉄からのアクセスがいいと聞いていたので、始発の
6時まで待つつもりだった。
一人で待ち続けるのは正直不安だったが、仕方がない。
あれ?
どうしてオアハカ行きのバスに乗らないんだ。
ロペスさんは立ち去る気配がない。
彼は私の顔を見て微笑んでいる。
「!」
私の不安な心中を察して、彼は動こうとしないのだ。
なんと彼は6時になるまで私の横に座り続け、私が地下鉄の駅まで行くのを付き添ってくれたのだった。
彼の好意に胸が熱くなった。
「アミーゴ、気をつけて旅を続けるんだぞ」
地下鉄の改札口で彼と別れの挨拶をする。
「グラシアス、ムーチャス・グラシアス」
(本当に、本当にありがとう)
自然と体の中から湧き上がってきた言葉だった。