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通過儀礼

 

1999年8月24日

Guayaquil,Ecuador

 

 

 エクアドルは、その名の通り赤道直下にある国だ。

 航空機が到着したのは首都のキトではなく、グアヤキルという港町だった。

 

 

 空港を出た私は、さっそく中心街の安宿に向かうことにした。

 通りがかりの中年女性をつかまえ、バス乗り場がどこか訪ねた。

「ここに行きたいんです。バス亭はどこですか」

 ガイドブックに載っている中心街の地図を見せた。

「ここはあまり治安がよくない所よ。気をつけて」

 不安げな表情で言うのだった。

 

 南米の都市は新市街と旧市街に厳密に分けられている。

 富裕層は郊外の新市街に住む。

 旧市街は治安が悪く、スラムも多い。そして住民の多くが低所得者層である。

 残念ながら安宿は旧市街に集中している。

 

 

 バスに乗り込むと、車内は陽気なサルサ音楽が大音量で流れていて、運転手は鼻歌を歌いながら運転している。

 こんな光景も南米ならではである。

 

 

 宿を決めたあと、周囲の散策を始めることにした。

 昼時は飲食店以外、ほとんどの店がシャッターを降ろしていた。

 この国ではシェスタ(昼寝)の習慣が残っているのだ。

 歩いていて、欧米人旅行者の姿を全く見かけない。

 旧市街は観光客がうろつく場所ではないから、当然かもしれない。

 

 

 

「チノ!」

 すれ違った人に、吐き捨てるように言われる。

「チノ!」

 また言われた。

 なぜ?

 

 子供はもっと正直だ。

「チノ!チノ!」

 指を目尻にあてて、目を細長く引き伸ばしている。

 東洋人はどいつも、こんな顔なんだ、といわんばかりに。

 

 南米には東洋人に対し、友好的でない人が存在する。

 それも少なからず、だ。

 自分が人種差別を受けている事を肌で実感していくのだった。

 

 チノ(CHINO)。

 本来であれば中国や中国人を意味するスペイン語である。

 ここ南米では東洋人全般に対する蔑称になっている。

 地元民は不快な顔をして、その単語を口にする。

 

 この不愉快な経験は、私個人の話ではない。

 南米を旅する日本人なら、誰でも一度は経験することだ。

 一種の通過儀礼と言っていいだろう。

 

 日本人が白人を見て国籍が特定できないように、彼らは外見から中国人と日本人を見分ける事ができない。

 自分の目に写る東洋人は全て中国人と決めつけ、彼らは「チノ!」と罵るのだ。

 

 この後南米各国で旅を続けていても、低所得者層の人ほど、その傾向が強いのを感じた。

 彼らは東洋人にも色々な国籍の人間がいることを、十分な学校教育を受けていないため区別が出来なかったのだろう。

 

 「ノー、ソイ・ハポネス」(違います、私は日本人です)

 私がそう言えば、 彼らの態度がガラッと変わる。

 しかし「チノ」と言われる頻度があまりにも多いので、説明するのがいい加減 面倒になってきてしまうのだ。

 よほどの事でもない限り、自分から説明する事を放棄してしまった。

 

 

 そもそも、何故南米で中国人が嫌われているのか?

 後から旅行者達の話を聞いて知った事だが、南米で生活している中国人に対し、 地元民は複雑な感情を抱いているようなのだ。

 中国人は商売がとても上手で、どこのコミュニティでも成功するらしい。

 地元民たちは成功した彼らを嫉妬と羨望の眼差しで見ている。

 

 問題は中国人が血族や同胞の利益を優先するあまり、地元コミュニティとの 関係をないがしろにすることが多い点なのだという。

 よその国に移住して生活をしていながら、いつも同胞同士で固まり、稼いだ金を 身内でしか回さない中国人の閉鎖的な態度に、地元民たちは怒っている。

 

 

 しかしエクアドル旅行時は、こうした事情を知らなかったのである。

 誰にも迷惑をかけていないのに、この仕打ちは何なのか?!

 私は戸惑い、苛立っていたのだった。

 

 

 グアヤキルを去ることに決めた。

 行き先は標高2500mの高山都市・クエンカである。

 移動途中の光景に、思わず息を飲む。

 車窓から見えるのは、雄大なアンデス山脈。

「これがアンデス・・・」

 感無量の気分になる。

 

 

1999年8月29日

Cuenca,Ecuador

 

 

 クエンカは先住民族のインディヘナが多く住む街だ。

 女性達は独特の山高帽を被っている。

 この帽子はインカ帝国の末裔・ケチュア族の証でもある。

 彼女達の特徴的な民族衣装を見て、自分がペルーやボリビアに確実に近づいていると実感する。

 ここからペルーまでは、もう目前の距離だ。

 

 当時のエクアドルは猛烈なインフレが進行中で、国の通貨スクレが暴落中だった。

 米ドルをスクレへ両替すると、札束になって戻ってきた。

 インドでの両替を思い出す。

 米ドルをルピーに両替すると、大量のルピー札をホッチキスで止めて渡され、自分がいきなり金持ちになったような錯覚を覚えたものである。

 実際エクアドルの物価もインド並みに安く、安宿の宿泊費は1~2ドルで済んでしまうのだった。

 

 高地の気温は低く、セーターを買う必要に迫られてきた。

 酷使したジーンズも穴が空き始めてきたので、新しい物が欲しかった。

 歯磨き粉や洗剤、トイレットペーパーも買っておきたい。

 物価の安いこの国で、生活物資を揃えておくのが賢明だ。

 そう考え、市場に出向いた。

 

 買い物をしていると、路上に座り込んだ老婆が私の方を向いて何か言っている。

 

「チノ!」

 

・・・絶句。

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