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泥棒天国

 

1999年8月31日

Tumbes,Peru

 

 

「ペルーはコロンビアと並ぶ犯罪大国である」

 ガイドブックのロンリープラネットを開くと、脅迫めいた記事が書かれている。

 詳しく読み込むと、ペルーは窃盗や強盗が多い傾向のようだ。

 命に関わる凶悪犯罪の可能性は少ないとはいえ、やはり油断は禁物である。

 

 バスは国境の街トゥンベスに到着。

 いよいよ悪名高きペルー入国である。

 

 通行税。

 国境の役人が賄賂を要求する噂があり、どう対応しようか考えていたが、結果的に何事もおきず肩透かしをくらう。

 フジモリ大統領の就任後、ペルーの治安が劇的に改善されたと聞いたが、 こんなところにも、その影響が及んでいたのかもしれない。

 

 南米大陸に渡ってから、私は本格的な強盗対策を始めていた。

 強盗に会ったとき、一番危険な行為は抵抗することだ。

 奴らは命がけで犯罪を犯すので、成果が得られなくなると激高して凶悪犯罪に 発展する恐れがあるという。

 

 万が一強盗に出会った時にすぐ差し出せるよう、見せ金として予め50ドル紙幣を胸ポケットに入れておく。

 移動中のトイレや宿を利用しながら、少しづつ身の回りの貴重品を整理していく。

 靴の中敷をめくって100ドル紙幣を仕込んだり、ジーンズの裏側にポケットを縫い付け、中に紙幣を忍び込ませる。

 貴重品は分散して所持し、盗難時の被害を最小限にするのが鉄則だ。

 腕時計を外し、ジーンズの前ポケットに入れる。

 財布も使わない。 紙幣や小銭を前ポケットに直接入れて買いものをする。

 

 やり過ぎに思えるかもしれないが、この位やっておくと、強盗に遭っても諦めがつく心境に なるものだ。

 そして、実際に大きな被害に遭った事はなかった。

 

 旅先で盗難に遭った人から話を聞いたことがあるが、本人が気をつければ防げたのでは ないかと思えるケースがほとんどだった。

 また、泥棒に遭った人が違う国に行っても、繰り返し被害を受けるケースが多かった。 これは本人にも、どこかに泥棒につけ込まれるスキがあったという事だ。

 

1999年9月1日

Lima,Peru

 

 

 トゥンベスからの長距離バスはパン・アメリカンハイウェイをひた走り、 首都リマに到着した。

 目指すは1軒の安宿だ。

 伝説の日本人宿、「ペンションN」。

 困ったことに、この宿は何とスラムのド真ん中にあるのだ。

 

「ムイ・ペリグローソ」(すごく危険だ)

 タクシーに宿の住所を告げると、乗車拒否の連続。

 それでも何度も粘り強く頼んでいると、いつかは行ってくれるタクシーが現れるものだ。

 そんな運転手には、プロピーナをつい多めに渡してしまう。

 

 プロピーナ。

 日本人にはチップの習慣がない。

 いつ、どこで、いくら渡せばいいのか、と悩みは尽きない。

 チップは普通の状況であれば、支払う必要はなかった。

 飲食店では周囲を見てチップが要求される状況と判断したら、支払い金額の 10%をテーブルの上に置いていくようにした。

 基本的に私がチップを払う基準だったのは、これは好意でやってくれてるな、 ありがたいな、と心が動いたサービスだ。

 今回のプロピーナも、運転手の男気に心が動いたからだ。

 

 住所通りペンションNに来てみたが、宿の看板がない。

 よく見ると鉄扉のブザー付近に、日本語の文字が小さく書いてある。

 ここが宿だと思いブザーを押すと、覗き窓から目が見えた。

「日本人です」

と言うと、ゆっくり扉が開かれる。

 

 宿に来るだけで神経が消耗する。

 中に入ると、すでに5人の旅行者が滞在していた。

 リビングに1冊の情報ノートが置いてあった。

 これは宿を訪れた旅行者が、次に訪れる人に伝えたいメッセージを書き込むノートで、 日本人の宿泊客が多い安宿には、たいてい置いてある。

 

 ノートを開いた。

「市場で煙草をカートン買いして、宿に戻る途中に強盗に頻繁に会った」

 宿の近所で強盗にあった旅行者が、具体的な犯行現場や犯人の特徴などの被害状況を書き残していた。

 

 日本で煙草を買うとき、カートンでまとめて購入することは珍しくないが、ここペルー ではとても目立つ行為のようだ。

 確かに地元民は煙草を箱で買う人より、路上の雑貨屋で1本づつ買って吸っている人が 多かった。

 煙草を1本1本バラ売りして商売になるのか?

 見ていて不思議でしょうがなかった。

 

 

 宿周辺の散策を始めた。

 粗末な日干しレンガの住居が並び、路地は土埃が舞い、汚臭が漂ってくる。

 殺伐としたスラムの雰囲気。

 とても観光気分で歩ける場所ではない。

 一人歩きは路上で強盗に出会う危険があるため、常に外出時は複数で行動していた。

 歩いていると背後から視線を感じ、何度も後ろを振り返る。

 しかし、誰もいない。

 

 スラムにも商店がある。

 店の入り口には鉄格子がかかっており、店内に入ることが出来ない。

 客が格子越しに買い物をしている。

 日本では考えられない、信じがたい光景である。

 旅行者一同は戦慄し、しばし言葉を失った。

 

 

 散策のついでに、近くにあった「泥棒市」を見物に行った。

 1本のネジや、何の部品かわからない小さな金属片まで売っている。

 売られているのが盗品なのか、正規に仕入れをしている物かは、見て判別がつかなかった。

 泥棒市には多くの地元民が訪れていて、しかも屋台まで出ており大変な盛況振りだ。

 市の喧騒を眺めながら、まさにペルーは泥棒の天国だと感じた。

 

 

 何故こんな危険を犯してまで、このペンションNに泊まる旅行者がいるのか不思議に思うかも しれない。

 それはセニョーラ(宿のオーナーの奥様)が作る、抜群にうまい日本食が目当てであった。

 長期旅行者は母国の料理に飢えているのだ。

 

 海外のレストランで食べる日本料理は高級志向で、貧乏旅行者が入れる雰囲気ではないし、 その予算も始めからなかった。

 ところが8ドルの宿泊費を払えば、朝夕の和食を堪能できるのだ。

 遠い異国で食べる本格的な和食は格別である。

 セニョーラが作る料理は、正真正銘の日本の味だった。

 

 連日、すき焼き、天ぷら、刺身・・・と豪華メニューが続く。

 毎日のメニューを聞いただけで、ここから動けなくなってしまう魅力があった。

 自分の食べたいものばかり食卓に並ぶので、結局私は4連泊もしてしまった。

 

「えーっ、そうなのか・・・」

 翌日のメニューが自分の好物ではない。

 ただそれだけの理由で、私は宿を出る決意をした。

 喉元過ぎて何とかというが、まったく現金なものである。

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