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今、この瞬間

 

1999年9月10日

Arequipa,Peru

 

 

 会いたい人がいた。

 リマのバスターミナルで出会ったペルー人母娘だ。

「アレキパまで来ることがあるなら、ここに電話をちょうだい。歓迎するわよ」

 母親は私の手帳に、自分の名前と電話番号を書いてくれた。

「歓迎するわヨ!」

 小学生くらいの娘さんが微笑んだ。

 その態度が社交辞令ではなく、とても自然な感じだった。

 彼女の家に寄ってみよう、と思った。

 

 セニョーラ・チャコン。

 澄んだ瞳が印象的な、銀髪の40代後半くらいの女性だった。

 自分の母親と同世代だろうか?

 彼女を見て、ふとそう思った。

 アレキパに着き宿を決めた私は、緊張の面持ちで公衆電話のダイヤルボタンを押す。

 

「アロー?」(もしもし)

 受話器の向こうから、チャコンさんの息子と思われる若者の声が聞こえてくる。

「私は日本人です」

 旅行、リマ、バスターミナル、今アレキパにいます・・・ 知っている単語を列挙して、来訪したい意志を伝えてみた。

「Ah、Si、Si」(うん、そうか)

 話は通じているようだ。

 彼は町の名前をタクシーに告げるように助言し、運賃の相場を教えてくれた。

 

 中心街からタクシーで20分ほど走ると、のどかな田舎町が見えてきた。

 目印になると思ったので、雑貨店の前でタクシーを降りる。

 近くにあった公衆電話で到着の連絡をすると、間もなく身180cmを超える 長身の若者が近づいてきた。

「オーラ」(やあ)

 電話の声と同一人物、チャコンさんの息子・オマールさんだった。

 

 チャコンさんは目を大きく開いて私を抱擁し、突然の来訪を喜んでくれた。

「エスタ・エン・ス・カーサ」(ここを、あなたの家と思って下さい)」

 来客に対して「くつろいで下さい」という時の、スペイン語の決まり文句である。

 そんな紋切り型の言葉も、彼女に言われると不思議と心が緩むのを感じるのだ。

 居間に通されると、娘さんのガブリエーサちゃんが待っていた。

「オーラ!」

 手を振って微笑んでいる。

 

 旦那さんは仕事で家をあけており、今日は戻ってくる予定はないらしい。

「あなた、お腹すいてない?一緒に食事をしましょう」

 遅めの昼食を一緒に御馳走になる。

 「素性のわからない外国人を招くのは心配にならないのですか?」

 食事をしながら、彼女に素朴な疑問をぶつけてみた。

「だって、アミーゴは多い方がいいのよ!」

 彼女は真剣な顔で答える。

 

 

 アミーゴ。(AMIGO)

 友人を意味するスペイン語である。

 インド人が使う「マイ・フレンド」と同様に、南米でも誰もが簡単に使っている言葉なので、今まで「アミーゴ!」と呼ばれても特別な感情が湧いた事はなかった。

 今回のアミーゴは気持ちが入っていて、嬉しさのあまり私は笑みがこぼれてくる。

 

 

 夕方になり、チャコンさんの家には人がどんどんやってくる。

 若者や子供、御婦人連中が10人くらい。

 私が来訪の電話をしたあと、近隣の友人達に声をかけたのだろう。

 電話して来訪するまで1時間くらいしか経っていないのに、ずいぶんと人が集まった。

 

「サルー!!」(乾杯)

 10畳ほどの別室で宴会が始まった。

 ソファが一方の壁に置かれ、横一直線に座っている。

 これは後で皆で踊るため、予めスペースを開けているのだ。

 

 ピスコと呼ばれる蒸留酒を、一つのグラスを使って全員で回し飲みしていく。

 自分が飲み終わるまで、グラスを他人に渡せないルールだ。

 なるべく早く次の人に渡そうと、私は急いでグラスを飲み干す。

 ピスコの飲み口は軽いが度数が高そうな酒で、すぐ顔が火照ってきた。

 早いピッチでグラスが巡回していく。

 飲み干したと思って安心していたら、すぐ自分にグラスが回ってくる。

 女の子もケロッとして酒を飲み干している。

 ペルー人は老若男女みんな酒が強い。

 

 

 私の横には色々な人が、入れ替わり立ち替わり座ってきた。

 日本について質問攻めにあったような気がするが、記憶は定かではない。

 酒の酔いがかなり回っていたので、ほとんど覚えていないのだ。

 

 

 チャコンさんがオーディオの電源を入れた。

「さあ踊りましょう」 

 軽快な音楽が大音量で鳴り出し、チャコンさんが腰を振り始めた。

 周囲の若者達も音楽に釣られ、席を立って踊り始めた。

 

 これがラテンのノリか・・・

 感心しながら彼らの踊りを眺めていると、オマールさんが私に言った。

「ほら、君も踊るんだよ」

 フロアの中央に私を連れて行く。

 地元の若い女性と手を繋ぎ、私は慣れない足取りで踊り始めた。

 周囲から笑いと歓声が起きた。

 彼女は踊り慣れているらしく、手を持っているだけでクルクル駒のように回ってくれる。

「いいぞ!もっと踊れ」

 

 

 生きているこの瞬間を、心の底から思いきり楽しむ。

 人生は楽しむためにあるんだ。

 彼らを見ていて、そんな感慨が湧き起こってくる。

 

 日本にいたときは感じなかった時間の流れだった。

 先の分らぬ未来を憂慮し、過去を振り返り後悔してばかりいた。

 現在は?

 私は現在を生きていたのか?

 今までの人生観が根底から覆されるような感覚だった。

 

 踊り終わったあと席に戻ると、急速に蒸留酒の酔いが回ってきた。

 まずい、もう駄目だ・・・

 ぐらんぐらんと目が回り、意識が飛びそうになる。

 

 ガシャン!!

 トイレに行くため席を立った私は勢いがあまり、ガラステーブルを割ってしまった。

 そのままバタン、と床に倒れ込んでしまう。

 宴会は私のノックアウトで自然とお開きになったようだ。

 

 翌朝、私はチャコンさんの家のベッドで目を覚ました。

 頭は割れるように痛く、完全な二日酔いだった。

 本当は途中で切り上げて宿に戻るつもりだったのに、結局泊まってしまった。

 昨晩の失態を思い出し、バツが悪くなる。

 

「昨日は調子に乗って、ごめんなさい」

 チャコンさんに頭を下げ、謝った。

「気にすること、ないのよ」

 彼女は微笑み、 私を力強く抱きしめるのだった。

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