SPICE CURRY & CAFE
SANSARA
スパイスカレー&カフェ サンサーラ
観光
クスコに行く前に、一つだけ心残りがあった。
コンドルである。
アレキパ近くのコルカ渓谷では、野生のコンドルが出没する。
現れるのは、午前中の早い時間だ。
しかも必ず現れるとは限らない。
せっかく見に行っても、空振りに終わる可能性もある。
そうわかっていても、是が非でも大空を滑空するコンドルをこの目で見たかった。
期待を胸に、コルカ渓谷に向かった。
1999年9月12日
Canyon del Colca,Peru
今日は現れてくれるだろうか・・・
周囲の欧米人観光客もカメラを構えて、コンドルの出現を心待ちにしていた。
その場で1時間待った。
歓声とシャッター音が聞こえてきた。
空を見上げると、一羽のコンドルが近づいてきた。
コンドルは羽ばたきをせず、大空をグライダーのように滑空している。
「OH!」
「WAO!FANTASTIC」
サービス精神があるのか、コンドルが至近距離で飛んでくれる。
頭の中は名曲「コンドルが飛んでいく」が流れっぱなしだ。
1999年9月15日
Cuzco,Peru
かつてインカ帝国の首都だったクスコは、静けさの残る落ちついた街だ。
街を歩いていると、民族衣装を着た女性がリャマを引き連れ通り過ぎていく。
この街には、自分がイメージした通りのアンデスの風景がある。
夢中になって、カメラのシャッターボタンを押す。
クスコはメジャーな観光地なので、土産物店がとても多い。
本格的な楽器も売っており、ここで購入しようかと心が動くが、もっと物価の安い ボリビアまで我慢することにした。
時間に余裕があったので、インターネットカフェで友人達からのメールチェックをした。
友人たちは皆一様に私が南米を旅していることに驚いているようだった。
「あれ?」
バンコクの彼女から、メールが届いていた。
メールには特別なことが書かれているわけではなく、近況を知らせる平凡な内容だった。
「・・・」
マチュピチュ遺跡に行くには、クスコが出発地点になる。
主な交通手段は、アンデスの山間を縫うように走る高山列車だ。
車窓からはリャマを追う女性、畑で作業をする農夫が見えてくる。
車内では物売りの子供が駄菓子を販売し、流しのミュージシャンがアンデス音楽を 演奏していた。
ペルー観光のハイライトが近づいてきた。
高山鉄道に旅情をかき立てられ、期待はどんどん高まっていく。
どうか、マチュピチュは期待を裏切らないでほしい・・・
観光地は実際に訪れてガッカリする、という話がある。
素晴らしい観光地も当然あるのは承知しているが、個人的には賛同してしまう所は多い。
私には放浪旅行をする前に、オートバイに乗って日本全国の観光名所を数多く見物する機会があった。
ところが期待して訪れると、感動が湧いてこない。
イメージと違うじゃないか。
何度も、そんな思いを味わった。
だから私には「観光地はどこへ行っても、そういうものなのだ」といった諦念がある。
海外に出てみても、その考えが修正される機会は、残念ながらほとんど訪れなかった。
今回の旅行中も、観光地に行くのに私があまり気乗りがしないというのは、こうした経験が ベースになっている。
気乗りがしないといえば、アレキパの前に訪れたナスカ。
有名な地上絵の観光は、セスナ機に乗って上空から見るツアーが主流だ。
ツアー料金はどこも強気の金額で、どうしようか決めかねた。
ここまで来て金を節約するのかとも思ったが、どうにも気が乗らなかった。
また小さい飛行機なので、乗り物酔いがひどく、ゆっくり見物できないという話を聞いていた。
地上絵付近にはミラドールと呼ばれる展望台があり、一部の地上絵を見ることができる。
「グラティス?」
無料だと聞いて、あっさりとミラドール行きに変更した。
現地で実際展望台に登ってみると、荒涼とした大地に太い線が引かれているのがわかった。
地上絵があまりにも巨大なため、展望台の高さでは全体像が把握できなかった。
しかし私は地上絵の巨大さを体感できただけで、十分満足してしまった。
1999年9月20日
MachuPichu,Peru
マチュピチュ遺跡は期待を裏切らなかった。
写真で見てもスゴイ、と感じさせるのに、現地に来てそのイメージをさらに超える経験ができるとは思わなかった。
アンデスの高峰に囲まれ、周囲の町から完全に隔絶された山の上。
頂上にそびえたつ遺跡群は、圧倒的な存在感があった。
遺跡は遠くから眺めても素晴らしいし、遺跡内部を散策するのも楽しい。
空は澄み切って、今にもコンドルが飛んできそうな雰囲気だ。
写真だけでは伝えきれない神秘的な空気感が、そこには確かに存在していた。
まさしく天空都市である。
もうペルーで観光は十二分に満喫した。
あとは約束の地、ボリビアに行くだけだ。