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別離

 

1999年9月25日

Puno,Peru

 

 チチカカ湖畔の町、プノで別れがあった。

 私ではなく、私達の別れがあったのだ。

 実をいうと、私にはエクアドルからペルーまで一緒に旅をした人がいた。

 私と同世代の日本人だ。

 何かと心細い南米旅行において、彼は言わば戦友のような存だった。

 安食堂で共に食事をし、市場で一緒になって買い物の値切り交渉をし、観光地では 同じ景色を見て感動を共有した。

 トラブルが起きた時も、お互い支えながら旅を続けた。

 

 

 ところが一ヶ月近く彼と行動を共にして、私はすっかり疲れてしまった。

 自分と彼の行動ペースが合わなくなっていることに、苛立ちを感じるようになって いたのだ。

 ちょうど体調を崩している時期でもあり、肉体的にも精神的にも不安定な状態だった。

 お互い南米の旅に順応してきており、もうこれからは一人で旅をするべきだ、と私は強く思い始めていた。

 しかし、それを本人に無下に言うのはどうなのか、ずっとためらい続けていたのだった。

 

 

 そんなある日、滞在中のクスコで宿のマネージャーが何気なく言った言葉が私の胸を突き刺す。

「なぜ君は、そんなに悲しい顔をしているんだい?」

 

 楽しむために旅に出ているはずなのに・・・

 私が悲しい顔をしている?

 マネージャーに心の奥底を見抜かれた気がして、私は大きな衝撃を受けたのだった。

 共に経験した多くの感動が、最後の感情的な別離で色あせていくような気がしたが、 一人になりたい欲求を抑えることは出来なかった。

 

 ようやく決心した私は、安宿の部屋で彼に告げた。

「これからは、個別に旅をしないか?」

 突然の一方的な提案を、彼は快く受け入れてくれた。

 

 クスコからプノまでは列車での移動だった。

 二人とも移動先が同じにもかかわらず、お互いが別の席に移動して座った。

 やりきれない気分だった。

 プノ駅に着き、手を上げて彼に別れを告げた。

 彼に笑顔はなかった。

 

 

 

 帰国して彼宛てに1通の手紙を出したが、返信はなかった。

 振り返ってみれば、本当はもう少し上手な方法があったと思う。

 彼には済まないことをした、と後悔が残っている。

 しかし、もう過ぎてしまったことだ。

 今更どうしようもない。

 楽しかった旅の中の、どうしても忘れられない苦い記憶である。

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