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出稼ぎ

 

1999年9月25日

Puno,Peru

 

 プノの中心街。

 一人旅に戻った私は、レストランで夕食をとっていた。

 「アナタ、日本人デスカー」

 背後のテーブルから、 片言の日本語が聞こえてくる。

 振り向くと、ペルー人の中年夫婦が手を振っている。

 彼らと一緒に食事をすることにした。

 

 男性がフリオさんで、女性がカルメンさん。

 二人は以前、日本に出稼ぎに行った経験があるのだという。

 彼らは日本での生活が相当心に残っているようで、街で日本人を見かけると、つい声をかけてしまうらしい。

「明日よかったら、私達の家に遊びに来ないか?」

 フリオさんが言った。

 

  翌日、約束の時間にホテルで待っていると、フリオさんが車に乗って現れた。

 見覚えのある車だと思い、よく見ると日産のセフィーロだ。

 車で10分ほど走り、フリオさんのマンションに着く。

 

 マンションの中にはカルメンさんと3歳の娘さん、生まれたばかりの男の子、 そして度の強い大きなメガネをかけた、お婆ちゃんがいた。

 

 

「私たち静岡県の浜松市で働いていたの」

 日本滞在中に撮った写真を私に見せながら、カルメンさんは遠い目をしている。

 彼らには合計7年間、日本に滞在した経験があった。

 そして二人には、お互い日本で知り合って結婚した経緯がある。

 彼らにとって日本は、いわば第二の故郷のような存在なのだ。

 

 

「ねえ、金魚のフンって、どういう意味なの?」

 写真に見入っていた私に、カルメンさんが尋ねてくる。

 金魚のフン・・・忘れられない言葉らしい。

 

 彼女が工場で働き始めた頃、勤務先の工場の社長に「おまえ達は金魚のフンか!」 と、いつも怒鳴られていたのだと言う。

 仕事を始めたばかりで勝手がわからず、工場の中を誰かの後ろについてウロウロと動く。

 それを見た社長が「何をしているのか」と怒鳴りちらしている光景が鮮やかに浮かんでき た。

「でもね、社長サンには感謝しているんだ。食事もよくご馳走になったしね」

 フリオさんが、にっこり微笑んだ。

 

 

「ここまで来たんだから、チチカカ湖も見ていくんだろう?明日、付き合うよ」

 翌日またフリオさんがホテルに迎えに来てくれ、湖畔からフェリーに乗りこんで 終日観光に付き合ってもらった。

 

 さらに次の日も、フリオさんはホテルの前に現れた。

 今度は友人の家に遊びに行こうと誘われ、家族総出で地元ペルー人の家に一緒に お邪魔することになり、私も食事とお酒をご馳走になる。

 それにしてもペルー人は、みんな酒が強い。

 談笑しながら、ビール瓶が次々とカラになっていった。

 私はアレキパで酒の失敗に懲りていたので、今回はセーブして彼らに付き合う。

帰宅途中の車内で、フリオさんが飲酒運転をしていることに気づいた。

 

「運転、大丈夫なんですか」

 心配になって聞いてみた。

「♪♪~」

 フリオさんは鼻歌を歌っている。

「少しアルコールが入った方が、運転が滑らかになるんだよ」 と、笑って答えた。

「全然少しじゃなかった!」

 

 

 あっという間に4日間が経過した。

 そろそろボリビアに行こうと決心して、ホテルをチェックアウトした。

 私はプノを立ち去る前に、済ませておきたい用事が1つだけあった。

 お世話になったお礼をちゃんと言ってない。

 フリオさんはタクシー運転の仕事で会えない時間帯だった。

 カルメンさんが中心街で子供服販売の店を経営をしていると聞いたので、住所を確かめ ながら、彼女のお店に向かった。

 とにかく店に顔を出して、お礼を直接言いたかった。

 

 あいにくカルメンさんは不在で、店は閉まっていた。

 隣にあった薬屋の親父に彼女の居所を聞くと、 「多分家に戻っているんじゃないか」と、その場で彼女の自宅に電話をしてくれた。

 

「色々ありがとうございました」

「また近くまで来たら連絡してね」

 彼女と電話で話すことができ、少し胸のつかえが降りた気がした。

 

 

 私はバスターミナルでボリビア国境までのチケットを買い、バスの中で出発時間を 待っていた。

 ボリビアまで、もう少しの辛抱だ。

 窓の外を眺めていると、私を見ている人がいる。

 

 あれ、どこかで見た顔・・・

 フリオさんの家にいた、お婆ちゃんだ。

 一体どうしたのだろう。

 

 お婆ちゃんがバスに乗り込んできた。

 私の前までやって来て、ビニール袋を手渡す。

 袋はリンゴやミカンがたくさん詰められて、パンパンになっていた。

 お婆ちゃんは私の手をつかみ、ゆっくりと言った。

「あなた、これからの旅、気をつけるのよ」

 

 

 お婆ちゃんは私を見送るため、わざわざバスターミナルまで足を運んでくれたのだ。

 きっとカルメンさんが私と電話した後、お婆ちゃんに頼んだのだろう。

「グラシアス、グラシアス・・・」

 

 

「ありがとう、お婆ちゃん。ありがとう、フリオさん、カルメンさん・・・」

 手を振ってバスを見送るお婆ちゃんを見ていると、思わず目頭が潤んできた。

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