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坂の街

 

1999年9月30日

LaPaz,Bolivia

 

「ふーっ」

 立ち止まり、空を見上げる。

 濃い藍色である。

 ここにも蒼天があった。

 私はインドで見たラダックの青空を思い出していた。

 

 アンデスの国、ボリビア。

 実質上の首都ラパスは、標高が3650m。

 富士山の頂上と同じくらいの高い場所に、100万人近い人間がひしめいている街だ。

 

 周囲を見渡すと、月面クレーターのような巨大なすり鉢に、斜面に沿ってびっしりと家が建てられている。

 そして、すり鉢の底に行くほど高層ビルが増えてくる。

 すり鉢のへりと底では、高低差が500mもあるので、少しでも空気の濃い低地が高級住宅地になっている。

 

 安宿へ行くには、上へ、上へ、と登っていかなくてはいけない。

 息を切らせながら、石畳の坂道を登っていく。

 大きな荷物を背負ったアイマラ族の女性達が、私を追い越していく。

 

 

 坂道を登り続け、目当ての宿にたどり着く。

 ガイドブックの中で一番安い宿だった。

 宿泊費を浮かせるため、今回もドミトリーを利用した。

 中庭は開放感があり、案内された部屋も清潔そうだ。

 値段の割りに感じのいい宿だと感じた。

 

 ところが相部屋のコロンビア人男性が問題を引き起こす。

 夜になると彼は女性を連れ込み、ベッドでいちゃつき始めたのだ。

 

 まったく・・・個室でやってほしいな!

 ドミトリーで、それはいくらなんでもマナー違反だ。

 

 それを見ていた、同室のアメリカ人男性が大激怒。

「信じられない奴だ!F〇CK!FU〇K!ファーーーーック!!!」  大声で叫び、コロンビア人を罵倒し始めた。

「何だと、この野郎!」

 宿の中はピリピリと険悪なムードが大きくなっていく。

 

 ドミトリーでの騒ぎが聞こえたのだろう、宿のマネージャーが間一髪で現れ、コロンビア人カップルを別の部屋に案内した。

 やれやれ、一件落着である。

 

 ウンザリした私は、翌日宿を変更することにした。

 長旅を続けていると嗅覚が発達してくるのか、あっさりと近くで安宿を見つけることに成功した。

 宿泊客はインディヘナが中心のようだ。

 シングルルームの個室でも、前に泊まった宿よりも安い料金だった。

 インディヘナ一家の親父、奥さん、小学生くらいの息子と娘の4人が宿の管理を任されて いた。

 

 

 

 坂道が多いのが難点だが、ラパスは街歩きが楽しい。

 民家の壁に落書きを見つけ、足を止める。

  Che vive...(チェは生きている)

 

 チェ・ゲバラ。

 キューバ革命の英雄だ。

 ゲバラは志半ば、ボリビアで命を落とした。

 

 観光名所を訪れているときよりも、こんな何気ない落書きを眺めている瞬間に、自分が南米にいる事を強く実感するのだ。

 

 

 

 

 観光客の多いサガルナガ通りは土産物店が立ち並び、ケーナなどの民族楽器が数多く陳列されていた。

 楽器を手に取り、試しに吹いてみる。

 すると、予想以上にいい音が鳴るので胸が躍ってくる。

 

 「カンビオ!カンビオ!」

 繁華街の路上には両替商の男達がズラリと並んでいた。

 山高帽を被ったアイマラの女性は地面に座り込み、縫い物をしながら果物を売っている。

 「ちょっとアンタ、見ていきなよ」

 市場は活気に溢れ、女性達は威勢のよい掛け声を出していた。

 

 

 ベンチに腰掛けていると、靴磨きの少年が近寄ってきた。

 なぜかニットの覆面をして、顔を見せないようにしている。

「NO!」

 私はスニーカーしか履いていないのに、一体どうやって磨くつもりなのだろうか。

 

 この雑然とした街の趣き。

 まるで自分がアジアの国にいるような懐かしさを覚えた。

 

 

 しばらくメールチェックをしていない。

 思い出し、インターネットカフェに入る。

 バンコクの彼女から、またメールが届いていた。

「ん?!」

 今度は私の旅の安否を気遣う内容だった。

 私は覚悟を決め、返信文を書き始める。

 

「日本に戻ったら、一度会いませんか?」

 送信ボタンを押した。

 果たして、彼女から返信は来るのだろうか。

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