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微笑みの国

     

 懸案事項であったインドビザの取得が無事に終わり、航空券の手配をした。

 カルカッタ行きの便が混んでおり、チケットの購入に手間取ったためにタイの滞在は結局二週間まで伸びた。

 

 タイでの日々を振り返り、感謝の気持ちで一杯になった。

 彼らは私に対して出来ることを精一杯してくれた、と思った。

 私自身は彼らと深い意味でのコミュニケーションが出来なかったと感じており、食事もとうとう馴染めぬままで終わってしまったので、後悔が残った。

 逆に私という日本人は彼らに、どのような存在で映ったのだろうか。

私は彼らに、何らかの良い印象を与えたのだろうか。

 

 

 1999年1月30日  

 

 

 タイを出国する日が遂にやってきた。

「インド旅行が終わったらタイに戻ってくる予定です。また寄らせて下さい」

奥さんと娘さんに別れの挨拶をする。

 二人はしんみりした顔をしていた。

 ナットさんが仕事を中断し、車で空港まで送ってくれることになった。

 

 空港に到着する直前の車中で、ナットさんが「MONEY」と言って微笑みながら右手の親指と人差し指をこすりはじめた。

 ガソリン代と高速代が370バーツかかるので金をくれということらしい。

 

 何か裏切られたような感覚を覚えながら財布から500バーツ札を取り出し、彼に金を渡した。

 

 タイ人のメンタリティが、どうしても理解できない。

 空港の出発ゲートで彼と別れ、ロビーで考え込みながらフライトを待っていた。

 

 日本の叔母からは土産を持たせたので、滞在中に金を使う必要はないと言われ安心しきっていたし、実際に金の請求をされたのは始めてだった。

 旅行代理店で彼らには高額出費であろう航空券を、私がいとも簡単に買ったのを見て、考えが変ってしまったのだろうか。

 

 「金を持つ人間が、金を持たない人間の面倒を見る」

 叔父から聞いていた、タイ人気質を思い出す。

 タイではケチな人間は、とても嫌われるらしいのだ。

 

 叔父はタイ人の叔母と結婚してから、叔母の実家に定期的に送金していた。

 その金で実家だけでなく親族の生活費も賄っているとのことだった。

 叔母はタイの中でも最も貧しいといわれている、東北部イサーンの農家出身だった。

 

 

 裕福なはずの日本人が、金を使わないのは何故だ?

 ナットさんは私に対して、そう疑問に思っていたのだろう。

 それに加えて、金持ち日本人に対する嫉妬の感情があったのかもしれない。

 

 彼らにバックパッカーのことを説明しても、どうしても理解してもらえなかった。

「裕福な国からやってきて、なぜ貧乏旅行をしなければならないのだ?」

 ギリギリの生活に追われている彼らには理解不能の行動なのだろう。

 

 実をいうと滞在して4日目以降は、ナットさんとまともな会話をした記憶がない。 彼はいつも忙しそうなので話かけづらかった、というのが理由の一つではある。

 

 だが本当の理由は、彼が私に対して時折見せる冷ややかな目にあった。

 「俺は毎日汗だくで働く生活なのに、いい身分だな日本人」

 そう言っているように思え、遊んでいる自分に罪悪感を感じ始めたのだ。

 

 言葉が通じなくたって相手の目を見れば、自分に好意をもっているのか否かくらいはわかるものだ。

 視線を意識するようになり始め、私は彼に対して積極的なコミュニケーションを取れなくなっていた。

 私は彼から逃げ、自分自身からも逃げていたのだった。

 

 タイは本当に「微笑みの国」なのだろうか。

 身近で接してタイ人がいつも陽気で親切なのは理解できた。

 身近で接したからこそ、通りすがりの観光客には見せないであろう毎日を必死に生きている生活者の顔が、彼らの本当の素顔だと思えて仕方がなかった。

 

 叔父夫妻に安易にホームステイを頼んだ自分の軽率さ甘さを恥じた。

 それがわかったのは今回タイを訪れた一番の収穫だったかもしれない。

 しかし再訪の約束をしたとはいえ、今度タイに戻ってきた時に彼らと会う機会があるとはどうしても思えなかった。

 

 飛行機に乗り込むと、頭の中で渦巻いていた否定的な想念が去っていった。 自由に一人で旅ができる開放感が、私の暗く沈んでいた気持ちを高揚させた。

 

 さて、インドの極彩色の神々は、私を祝福してくれるのだろうか?

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