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食と貧困

 

 1999年10月某日

LaPaz,Bolivia

 

 

 音楽を学ぶため、長期滞在のラパス。

 それ以外の楽しみといえば、やはり食事である。

 

 ムリリョ広場、サンフランシスコ教会の前。

 ラパス市民憩いの場で、黒山の人だかりが出来ている。

 ここに美味しいと評判の屋台があるのだ。

 

 サルティーニャ。

 ボリビア人なら誰でも知っているストリートフードだ。

 小麦粉をこねた後小さなラグビーボール型にし、中に香辛料で味付けした挽き肉を入れ、ラードを塗りオーブンで焼き上げている。

 ここの屋台は作り置きせず出来立てを出すので、地元民に大人気なのである。

 私も地元の人に混じり、サルテーニャにかぶりついた。

 噛むと口の中で肉汁が広がっていく。

「これ、メチャクチャ美味しい!」

 

 

 ボリビアは南米の最貧国である、といわれている。

 確かにペルーから国境を越えボリビアに入った途端、道路が舗装から急に砂利道に変わるのを見た。

 国が変わるとこんなに違うものかと驚いたものだ。

 

 露店はもちろんのこと、ちょっとしたレストランでも、コーラなどの炭酸飲料を注文後、冷えた状態で出てきたことがなかった。

 電気事情が悪いのか、それとも冷蔵庫が普及していないのか。

 滞在当初は不満だったが、やがて生ぬるいビールを飲む事にも、すっかり慣れてしまった。

 

 一般的なレストランは妙に格式ばったところがあり、面白かった。

 私がいつも頼んだのが、値段がお手頃の「日替わりセット」。

 最初にスープ、次にサラダ、 メインディッシュの肉料理。

 最後にデザート、とコース式で料理が運ばれてくるのだ。

 

 食事を安く済ませたいのなら、なんといってもメルカード(市場)。

 庶民的な料理が、良心的な価格で食べられる。

 地元客相手の商売なので、不当にぼられる事が少ない。

 ラパスの滞在が終わりに近づくにつれ、メルカードの食事の回数が増えていった。

 

 

 行きつけのメルカードの入口にはいつも物乞いが立っており、通行人に手を突き出して喜捨を求めていた。

 物乞いを横目で見ながら、市場に入っていく。

 

 インドでは日常的な光景だった物乞いの存在。

 中南米に入り見る機会が減ったと感じていたのだが、ボリビアに入ると度々目にするようになっていた。

 悲しいことに、物乞いの類は全てインディヘナなのである。

 

 

 

 「 さあ、入って入って」

 威勢のよい掛け声に釣られ、食堂に入る。

 テーブルにつき、おまかせメニューを注文した。

 ほどなく料理が目の前に置かれる。

 ワンプレートに、焼いた骨付き鶏もも肉、ライス、サラダが盛られ、スープが添えてあった。

 

 南米で食べる鶏肉は鮮度が良く、どこで食べても本当に美味しい。

 「うまい、うまい」

 鶏肉を堪能していたところ、背後に視線を感じた。

 

 振り返ると、5mくらいの距離だろうか。

 ぼろぼろの服を着たインディヘナの老人が、食堂の外から刺すような視線で私を見つめているのだ。

 

 きっと物乞いの人なのだろう、と思った。

 居心地が悪くなり、食事を早々と済ませることにした。

 会計を終え、食堂を出ようとした時に事件は起こった。

 

 老人が突然食堂に駆け足で飛び込んできて、 私が食事していた席に近づくや否や、皿に残っていた食べ残しを物凄い勢いでひったくるのだ。

 老人はその場にうずくまり、一心不乱に骨をしゃぶっていた。

 両手を油で汚しながら、骨に残ったわずかな肉を、こそぎ取るように 食べている。

 「ウウウ・・・」

 うなり声を上げながら食べている。

 

 老人が見つめていたのは、私ではなく鶏肉だったのだ。

 私は恐怖を感じ、老人と目を合わす事が出来なかった。

 

 食堂の店員は動じることも無く、じっとその老人が食べ終わり立ち去るのを黙って見ていた。

 私にとっては衝撃的な体験でも、市場では日常的な出来事だったのかもしれない。

 

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