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望郷

 

1999年11月3日

LaPaz,Bolivia

 

 

 空から水滴が舞い降りてくる。

 また雨だ。

 1年中気候の変わらないと思っていたラパスにも、ちゃんと雨季があるのだ。

「寒くなってきたな・・・」

 小走りで宿に戻っていく。

 

 音楽学校のレッスン中、マリオ先生と日本の歌の話題になった。

 彼と話をしながら、せっかくなら日本の歌をきちんと紹介してみたいと思った。

 どんな歌が日本らしいのか、考えを巡らす。

「これが、いいんじゃないか」

 とっさに浮かんだのが、唱歌「ふるさと」のメロディーだ。

 

 

 「ふうぅ~、やっと出来た」

 私はまる1日をかけて、メロディーラインだけの譜面を作った。

 なにしろ自分で譜面を書くなんて、生まれて初めての経験だったのだ。

 

 

 レッスンが始まる前に、マリオ先生に譜面を渡す。

 「こんな感じかい?」

 先生はピアノ演奏を始めた。 

「いいね!美しいメロディーだ」

 

♪うさぎ追いし、かの山・・・・

 

 

 聞こえてくる、懐かしい旋律。

 地球の裏側で聴くと、ことさら望郷の念が募ってくる。

 ずいぶん長い間、帰っていない。

 日本を出て、10ヶ月が経過していた。

 

 

 私の所持金はラパス滞在末期には、わずか300ドルまで減っていった。

 ボリビアは物価がインド並みに安く、1日5ドルあれば宿に泊まり食事ができた。

 それでも、もう限界だった。

 旅行資金は完全に底が見えてしまったのだ。

 

 本当に、この金で日本に帰れるのだろうか・・・

 旅を続けることに対し、希望よりも不安が日増しに大きくなっていく。

 他の町へ動きたくても、もう余分な金がなかった。

 金がないので外出もしなくなる。

 音楽学校以外の時間は、部屋にこもりがちになっていった。

 

 

 ラパスにある日本人会館には図書館があり、本が借りられると聞いていた。

 活字に飢えていた私は、早速会館を訪問して日本語の小説を借り宿に持ち帰った。

 時を忘れたかの如く、貪るように本を読みふける。

 ますます部屋から出なくなっていく。

 

 街で出会った日本人旅行者から、気になる噂を聞いた。

 ボリビアのどこかに、旅行者でも働かせてくれる農場があるらしい、というのだ。

 働いて旅費を稼ぐと言うのは、金の無い私には妙案に思えた。

 でも、その農場は一体どこにあるのだろう?

 

 本を借りるために立ち寄った日本人会館で職員の一人に声をかけ、軽い気持ちで尋ねてみる。

 「税金の払えない人に仕事の紹介はできません」

 険しい顔でキッパリ断られた。

 毅然とした態度に正直ムッとしたが、よく考えると職員の対応は当然だったと思う。

 私は尋ねる相手を間違っていたのだ。

 ところが、これ以上誰かに聞いて働き口を探そうという気力が湧いてこない。

 

 

 日本の和食料理を食べたい。

 暇さえあれば、夢想する自分がいた。

 梅干、海苔、納豆、漬物、おにぎり、粘りのある日本の米。

 なぜか朝食のシンプルなメニューを無性に食べたくなる。

 とうとう食卓で和食を食べる夢まで見てしまった。

 

 

 無理だと思っていた南米に来れてよかった。

 音楽修行も出来ればこのまま続けたかったが、お金のない中で  1ヶ月半も勉強が出来て十分じゃないか、とも思った。

 

 そろそろ日本に帰ろうか。

 ・・・しかし、日本に帰っても自分が何をすべきか、わからない。

 この旅は、ただの現実逃避だったのではないのか。

 

 ・・・そんな事はない、新しい人生へのきっかけに必ずなるはずさ。

 

 不毛な自問自答を繰り返していくうちに、旅を続ける情熱がすっかり消えてしまった。

 

「もう日本に帰ろう」

 やっと決心した。

 結局「コンドルは飛んでいく」のレッスンをせず、音楽修行は終わってしまった。

 

 

 

 これから、どうやって帰国して行くのか。

 エクアドルからメキシコに戻る航空券は手元にある。

 ロスアンゼルスから東京に戻る航空券も持っている。

 問題なのはエクアドルに辿り着くまで、滞在費や移動費などの金が持つのか、という点だ。

 

 時間は若干の余裕があったが、旅行資金が減って心細いのが何よりも気がかりだった。

「困ったな、どうしよう」

 安宿のベッドの上で頭を抱える。

 

 一つの考えが閃いた。

「そうだ、帰りにフリオさんの家に寄っていこう」

 お世話なれば旅費も浮くし、2、3日厄介になってみようか。

 今までの旅で好きなように行動し金を使っていたのに、実に身勝手な考えであった。

 

 私は公衆電話のダイヤルボタンを押した。

「もしもし・・・」

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