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夜の空港

 

 

 プノ・アレキパ・リマ・トゥンベス。

 私はバスを次々乗り継いで行く。

 ペルー国内を移動中の3日間は宿に一回も泊まらず、全て車中泊で済ませた。

 もちろん、宿泊費を節約するためである。

 

 

1999年11月18日

Guayaquil,Ecuador

 

 エクアドルに入国し、空港のあるグアヤキルに到着したのはフライトの2日前だった。

 ペルー国内でのトラブル発生を想定し、移動日程は少し余裕を持っていたが、今回は杞憂に終わった。

 

「疲れた・・・」

 久しぶりにホテルのベッドに横たわり、体を思い切り伸ばす。

 

 フライトまで、まる1日の猶予があったので散策に興じた。

 もう街を歩いても、大きな感情は湧いてこない。

 旅のテンションは、すっかり落ちていた。

 

 出発の日。

 深夜のフライトだったので、ホテルのマネージャーに時間を指定して、タクシーの送迎を頼んでいた。

 だが、いくら待っていても連絡が来ない。

 フライトの時間が刻一刻と迫ってきた。

 文句を言いたくてフロントに行くが、誰もいない。

「だめだ、こりゃ」

 真夜中の路上でタクシーを拾い、暗闇の車内で不安になりながら空港に向かう。

 

 無事空港に着いたものの、今度は出国税の支払いが米ドルだったことを計算に入れておらず 、慌てふためく始末だ。

 しかも深夜で両替所が閉まっているため、トラベラーズチェックが換金できない。

 土壇場で、またドタバタしている。

 私には学習能力がない。

 

 

1999年11月21日

Mexico City,Mexico

 

 メキシコシティに戻り、前回お世話になった日本人宿に泊まった。

「おおお!!!」

 メールチェックをしてみると、また彼女からメールが届いている。

「日本で会いましょう」

 住所と電話番号が書かれていた。

 

 タイのバンコクで出会った彼女。

 私の心の中で、日増しに大きくなっていく存在。

 旅行中にメールのやり取りを何度か繰り返すうち、私は彼女に対して特別な感情が 芽生えていたのだった。

 バンコクの屋台で出会ってから三ヶ月あまり、思えば不思議な縁である。

 

 インドでイスラエル人旅行者と出会ってメールアドレスを作らなかったら、このような展開にはならなかったろう。

 この縁を切らずに日本に持ち帰りたいと思っていたので、彼女からの返信は心の底から嬉しかった。

 

 

 宿泊中の旅行者に、帰路の方法について相談をしてみた。

 ロスアンゼルスへ 飛行機で直接乗り入れる方法が、時間と費用を考慮すると一番ベターだ、と言われる。

 しかし飛行機代の金が足りない。

 飛行機と長距離バスの交通費は、わずか50ドル程度の差額なのだが、その50ドルがなく て買えないのだ。

 かなり切ない気分だった。

 

 結局メキシコシティからティファナまでの直通バスに乗った。

 20時間の長距離移動も、これが最後と思えば我慢ができた。

 

 

1999年11月25日

Los Angels,United States of America

 

 

 国境を越えたバスはロスアンゼルスの街に入り、ダウンタウンの停留所に止まった。

 空港行きのバス乗り場を探すが、なかなか見つからない。

 

 途中の洋服店で店員の姿を見かけ、声をかける。

「国際空港に行きたいのですが、バスの乗り場がどこか知っていますか?」

 ところが、さっぱり通じない。

 首を振って、「何を言っているのか、わからない」といった表情をしている。

 

 

 ひょっとして・・・

 彼らがヒスパニック系に見えたので、スペイン語を使ってみた。

「Quiero ir al aeropuerto internacional.Donde esta la palada de autobus?」

 彼らの表情が変わった。

「Esta Alli!」(あっちだ)

 バス亭の方角を指差す。

 

 驚くほど簡単に通じてしまった。

 ここは・・・本当にアメリカなのか?

 

 

 

 ようやく空港に着いたが、夜になり周囲はすでに暗くなっていた。

 わずかな望みを託して、チェックインカウンターに向かう。

 今回もスタンバイを利用して、機内に潜り込む予定だった。

 

 やはり甘かった。

 当日の最終便は既に出発してしまった、と係員から言われ意気消沈する。

 もう街に戻って宿に泊まる気力もないし、その金もない。

 空港内のベンチで夜を明かすことに決める。

 これもハードな一人旅の最後にふさわしい。

 

 運行の終わった夜の空港に、残っている旅行客は誰もいない。

 周囲は静寂に包まれていた。

 人といえば、わずかな職員と掃除夫が動いているだけだ。

 静まり返ったロビーには、掃除機のモーター音が空しく響いていた。

 

 ムニャムニャ・・・うーん・・・

「ハッ!」

 腕時計を見る。

 ベンチに座ったまま、5時間も熟睡していた。

 体調は思ったよりも悪くない。

 荷物も無事だ。

 

 早朝チェックインカウンターでスタンバイの手続きをし、ロビーで長い待ち時間を過ごす。

 今回もキャンセルが発生して、なんとか機内に乗り込む事が出来た。

 

 あとは母国へ帰るだけである。

 日本には自分の帰りを待ってくれている人がいる。

 本来であれば、長旅を終えて意気揚々と帰国するはずだった。

 

 しかし心の中を多く占めていたのは、帰国後の期待感よりも喪失感だった。

 ぽっかりと、大きな穴が空いたような喪失感。

 それは祭が終わったあとに感じる、独特の寂しさ、もの悲しさに良く似ていた。

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