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帰国の途

 

 約1年ぶりに日本の土を踏む。

「今日、そっちにお邪魔してもいいですか?」

 空港に着いた私は、真っ先に叔父の家に連絡を入れた。

 

 

1999年11月26日

神奈川県某所

 

「元気で帰ってきたか」

 叔父とタイ人の叔母が、私を暖かく迎えてくれた。

 久しぶりに食べる日本食は、おいしくてたまらない。

 浴室でシャワーを浴び、バスタブの湯に体を沈めながら物思いにふけった。

 

 まともに体を洗ったのは、何日ぶりなのだろう。

 今日は久しぶりに体を伸ばしてベッドで眠る事ができる。

 それにしても、本当によく無事に帰ってこれたものだ。

 旅のあまりの無軌道ぶりに、我ながらあきれ感心してしまった。

 

「ナットさん達ね、あなたがタイに戻って来るのを待っていたらしいわよ」

 叔母が笑って教えてくれる。

 最近彼と電話で話す機会があったらしい。

 

 陽気な肝っ玉母さんと娘さんの笑顔が脳裏に浮かんでくる。

「ああ、そうなんだ・・・」

 曖昧な返事で誤魔化す。

 

 約束しながら、結局彼らに連絡をしなかった・・・

 胸に小さな痛みを感じた。

 

 

 

1999年11月28日

神奈川県某所

 

 北海道に帰る前に、もう一人会いたい人がいた。

 幸運にも、彼女は叔父の家から比較的近い場所に住んでいたので、連絡をとってすぐに会うことができた。

 

「お帰り!南米の旅はどうだったの?」

 劇的な再会に、テンションが一気に上がる。

 私は食事をしながら夢中になって長旅の話をしているのだが、彼女は隣で楽しそうに聞いてくれている。

 本当に日本で会えるなんて、夢のような気分だった。

 

 もっと時間を共有したいと思ったが、彼女にも仕事があり翌日以降の時間がどうしても折り合わなかった。

「北海道に遊びに来ない?」

 勇気を出して誘ってみた。

「うん」

 一度北海道に戻った後、再会を約束した。

 

 

 再び叔父の家に戻った。

 叔父には重要な頼みごとをしなくてはならない。

「ん?どうした?何か心配事があるのか」

「お金借りられないかな。実は・・・飛行機代がもうないんだ」

 私の財布には、もう2000円しか残っていなかったのだ。

 

 

1999年12月1日

 

 私は北海道に戻り、両親や親しい友人達に旅の報告をする。

 私は旅の途中でお世話になった人達へ、お礼の手紙と写真を送った。

  私が経験した類の放浪旅行は珍しかったのだろう、最初のうちは周囲の人たちに、話に耳を傾けてもらえていた。

 しかし旅の土産話を、いつまでもするわけにはいかない。

 

 やがて周囲の人たちと会っていても、日常の身近な話が中心になっていく。

 聞く人は楽しんでくれるだろうと思っていた旅の話が、一種の自慢話と受け取られている、と感じたこともあった。

  旅そのものに興味のない人だっている。

 私は自分から積極的に旅行の話をするのをやめた。

 

 

 帰国して10日が過ぎてくると、自分が周囲から取り残されていくような焦燥感が募ってきた。

 叔父に借りた金を先に返そうと思い、とりあえずアルバイトを始めた。

 厳冬の深夜、運送会社の倉庫で黙々と荷物を運ぶ仕事だ。

 防寒着と作業着を着込み、ヘルメットを深めに被る。

  降り積もる雪。

 雪。

 雪。

 外は一面の銀世界。

 

 私の日常が始まった。

 非日常の旅が終わっても、日常はどこまでも続く。

 もう逃げられない。

「なんだ?遊んでいるのか」

 仕事中に同僚から嫌味を言われる。

 必死に働いているつもりだった。

 しかし彼の目には、そうは映っていないようだ。

 私はすっかり仕事のカンが鈍り、動きも緩慢になっていたのだ。

 

 リハビリには、相当時間がかかるぞ・・・

 現実を直視する時がやってきたのだ。

 早く社会復帰をしなければならない。

 

 

 アリとキリギリスの童話を思い出し、自分の境遇に重ねてみる。

 これが、キリギリスの末路なのだろうか。

 いつまで続くのか、この生活は・・・

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