top of page

エピローグ

 

 北海道に遅い春が訪れていた。

 帰国して4ヵ月が経過したが、アルバイトは相変わらず続いている。

 

 ジリリリリン!

 チャイムが鳴った。

 作業を中断し、休憩所に向かう。

 

 私は長いすに腰かけ、隣に座っていた初老の男性に声をかけた。

 彼は普段仕事で何かとお世話になっている人だ。

 

「新しい仕事、やっと決まったんです」

「ほー、そうかい。よかったじゃないか」

 男性は心から喜んでくれた。

「色々ありがとうございました」

「しっかりやるんだよ」

「ハイ」

 

 ようやく、就職が決まった。

 それまで手付かずだった旅行中の荷物を、今のうちに整理しようと思い立った。

 自宅で片付け作業をしながら、様々な思いが頭をよぎっていく。

 

 人生仕切りなおしだ。

 1年間遊んでいた分の遅れを取り返さないといけない。

 これからは変わらない毎日が、ずっと続いていくんだな。

 

 ちょっと待って。

 そこで思考を停止してしまったら、今までの自分と同じだ。

 想像してみよう。

 もし人生そのものを旅と仮定してみたら、どうだろうか?

 

 生きる事、人生も旅と考えれば・・・

 変わらない毎日も、少しは変化していくのかもしれない。

 そう考えれば、まだ自分は旅の途中だ。

 

 それに意志の力。

 南米行きだって、まず自分が望んで行動を起こし、周囲に働きかけたから実現したのだ。

 自分の意志を持て、と旅が教えてくれた。

 長い旅も無駄ではなかった、と思えてきた。

 

 片付け作業を進めていると、1冊の文庫本に目が止まる。

 放浪の俳人・種田山頭火の俳句集。

 旅の間、肌身離さず持っていた本だった。

 本を手に取ってみると、付箋が1枚付いている。

 

 いつ貼ったのかな?

 気になって付箋のページを開くと、次の句が私の目に飛び込んできた。

 

 

 

 あるがまま雑草として芽を吹く

 

 

 芽吹きは美しい。

 太陽をうけて、地面から青い芽が頭をもたげていく。

 名のある草花の芽吹きもいいが、何ということはない雑草が芽を出しているのは、感動的だ。

 どのひとつひとつにも存在感があり、主張があるのだ。

 それが尊い。

 雑草としての誇りがあり、それを少しも飾ったりしない。

 雑草はあるがままに芽吹く。

 それが自然の、本当の姿である。

 自分もそうありたい。

 

 [以上 山頭火俳句集より引用]

 

 

「長い冬にも・・・いつかは春が訪れる、か」

 

 考えると私も、雑草のようなものだ。

 だが、雑草としての生き方を卑下するつもりはない。

 

 私も、そうありたい、と強く思った。

bottom of page